今日は休みで、事務仕事も片付けた後で、私用も久し振りになかったので(笑)、すろーじゃむの通路に置かれた物の片付けに行って来ました。蚊に沢山刺されて(笑)、捨てに行くまでは出来ませんでしたが、明日使用を済ませたら、捨てられるものだけでも捨ててこようと思っています。強い台風が来ているので、それまでにとも思いますが、中々時間がとることができず今年一杯猶予を頂きたいですね......。本当は自分達には非はありませんが......。
蚊に沢山刺されて(笑)めげて帰宅したら、ジャパンデザインネットさんからのメルマガが来ていて、下記がありました。バウハウスは物作りの端くれだった時分に、本を買って真剣に読んだ記憶があります。行って見たいな!と言う気持ちを抑えるのが大変でしたが、夢かなわず、棺桶に片足突っ込んでいます(笑)。6本もバウハウス関連の映像が見れるなら、行きたいですね!11月は忙しいので、言いだせるでしょうか?
下記のイベントの情報もありました。講演会に興味がありますが.....。
下記は、直面化から逃れたら、また直面化を繰り返してワークスルーしたらこうなる的なことを、記述してくれている感じがします。防衛と言うのは、ありとあらゆる形でなされるので、気が付かない方が多いのかも知れませんね。その時に利用できるのが逆転なのかも知れませんが、本当に真剣に向き合わないと、自分の中に起こっている逆転移すら感じないのかも知れません......。
~もし現実に向き合うことができないときーー少なくとも当初、喪失が重大で苦痛に満ちているときーー防衛的なプロセスが動員される。 その結果、喪失は否認され、メランコリーのほうへと導かれる。
私が述べる患者においては、これらの防衛プロセスは多種におよんでいて、躁的な勝利感、強迫的コントロール、そして対象に対しサド-マゾヒズム的に屈辱を与えることなどを伴っていた。
何年間もの分析を経て、これらの防衛プロセスはしだいに万能性と毒性を減じていった。しかし万能性と毒性が減じるにつれ、患者は対象に対しなしてきたことに向き合い始めなければなるなくなる。こうして患者はフロイトが「悼み悲しむこととメランコリー」(Freud,S.1917)において記述したのと同様の内的状況に直面する。
すなわちダメージを受け、非難に満ちた内的対象が内在化され、具象的な対象として保持され、「自我に影を落とす」。メランコリー的解決法では妥協が形成され、対象は外的世界にはもはや存在しないが内的対象として保たれる。
この内的対象はこころの中の世界に所有され、コントロールされ、そして新しい対象に投影される。この新しい対象が、患者のこころの平衡状態についての元の対象が保っていたのと同じように役割を果たすのである。~