うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

花火は延期になりましたと、【一連の素晴らしい論文と著書においてビオンは、すべてのクライン派分析家の概念と技法のレパートリーに大きな影響を与えた思索に関した理論の展開でのひとつの中核概念として投影同一化を使っています。】


 台風が来ているので、花火は、早々と明日に延期になりました。
お寿司を予約していたので、とりあえずお寿司をみなさんと頂きました。

 明日もごちそうが出るのでしょうか?(笑)

 夜勤に入ったら、貴ちゃんが本屋さんに行きたいと言ってこられたので、ケーズデンキに、すろーじゃむの乾燥機のフィルターを取りに行くのを付き合って頂いてから一緒に精文館に行きました。花火の予定だったので職員配置ができていたのでよかったです。時々本屋さんものぞかないといけませんね(笑)知らないことが沢山あり、いろんなことを知ったので楽しかったです。



 
 今日は、夜勤なので、用事を済ませてからマックでコーヒーを飲みながら本を読ませて頂きました。
アップは昨日読んだ箇所です。今日はマーサ・ハリスを読んでいました。

 一番下の赤字の部分を何度も読み返しました。




一連の素晴らしい論文と著書においてビオンは、すべてのクライン派分析家の概念と技法のレパートリーに大きな影響を与えた思索に関した理論の展開でのひとつの中核概念として投影同一化を使っています(1962a“ここに再掲載”、1962b,1965,1967《原書2巻は再掲載》、1970)。それらの業績のなかでビオンは思索の過程を理解するための3つのモデルを示唆します。
 第1のモデルは、現実の検討のための仮説として使われる無意識で、空想というスィーガルの考えに似ています。ビオンの公式化においては、たとえば、乳房という前概念が、ある実感、つまり、実際の乳房と一致して(つがって)、思考のひとつの概念を引き起こします。 第2のモデルでは、前概念が陰性の実感、ある欲求不満、すなわち、無い乳房no breastが満足に利用できる、に出会います。この次に起こることは、欲求不満に耐える幼児の能力によっています。最早期の体験においては、不在の欲求不満を引き起こす対象は悪い対象と感じられることをクラインは指摘しました。この考えをビオンはさらに推し進めました。もし幼児の欲求不満に耐える能力が大きいなら、“無い-乳房”知覚/体験はひとつの思考へと変形されますし、その思考が欲求不満に耐えるのを援助し、考えることのためにその“無い-乳房”思考が使えるようにします。すなわち、迫害にふれておき、もちこたえること、そしてそれから、外界の乳房が再びやって来たときにその迫害を排除できるようにします。徐々にこの能力は、不在ではあるが戻って来るだろうよい対象が存在しているがゆえに、欲求不満にさせられるとの悪い嫌な感情が実際に起こっていると想像する能力へと進展していきます。しかしながら、もし欲求不満への能力が低いのなら、“無い-乳房”体験は“よい乳房が不在である”という思考に向かっては発達していきません;それは“悪い乳房がある”として存在します;それは排出によって、つまり、万能的投影によって取り除かれねばならないひとつの悪い具体対象と感じられます。もし、この過程が築かれてしまうなら、真の象徴群や思索は発達できません。 第3のモデルは、受け皿と収納物(なかみ)the container and containd の 公式化と呼ばれるようになってきました(Bion 1962 b)。(このモデルについての簡潔で素晴らしい記述は、原書2巻に再掲載されているエドナ・オーショネスィの論文『W.R.ビオンの思索の理論と子どもの分析での新しい技法』に見られます)。このモデルにおいては、幼児は「自分が不快に感じ、取り除いてしまいたいある種の感覚知覚、ニード、フィーリングを持っています。母親のなかに幼児が取り除きたいフィーリングをわきあがらせるよう合理的にもくろまれた」(Bion 1962 b)やり方で幼児はふるまいます。このタイプの投影同一化はこのように“現実的”です;それは万能的な空想に過ぎないのではなく、母親の中に同じ種類のフィーリングをわきあがらせるふるまいをもたらします。母親がかなり健全で、ビオンが“もの想い”reverie と呼んでいる能力を持っているなら、母親は受け入れることができ、そして、幼児が再とり入れできるような耐えられる形へとそのフィーリングを変形できるでしょう。変形のこの過程をビオンは“アルファ機能”alpha function と呼んでいます。すべてがおおよそうまくいくなら、幼児は、耐えられるものへと変形されたほかでもないその悪いものを2つとり入れるだけでなく、あとでは、その機能自体をとり入れます。そして、このようにして、幼児は自分自身の心の中に、欲求不満にもちこたえたり、考えたりするための萌芽的な手段を手に入れます。象徴化、意識と無意識との間の“接触バリアー”contact barrier,夢思考は空間と時間の概念が発達していきます。
 もちろん、この過程はまずいことになってしまいうるのですが、それは、母親にもの想う能力がなかったり、もしくは、自分にできないことを母親がなしとげることを子どもが羨んだり、耐えられないとの理由からです。もし、その対象が投影を包み込もうとしないかできないなら、その個人はもっと力強い投影同一化に頼ります。再とり入れは同じような力でもってもたらされます。そのような力強い再とり入れを通して、その個人は自分自身の中に、投影を受け入れようとせず、自分がとり入れているすべてのよいものを貪欲に剥奪すると感じられている全知で道徳的で真理や現実吟味に関心を持たない内的対象を発達させます。この意図的に誤解をもたらす内的対象にその個人は同一化し、そうして、精神病の舞台がセットされます。