うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

赤まんまと【そのような自己愛構造体が解体され、そして、悪い部分という暴君に対する反抗が開始されるまで、抑うつ態勢のスレッシュホールドへの進展は不可能である。】


あかまんまが、沢山ありました。



 下記を読んでいて、大分前にアップしたロゼンフェルトを思い出しました。

メラニー・クラインの影響』  (治療の行き詰まりと解釈より)精神分析的な治療にまず必要なことのひとつは、患者のなかで起こっていることを治療者自身も体験し感じるために、患者の感情や思考と十分な接触を持つことである。この過程は、モネ=カイル(Money-Kyrle)によって繊細に検討されている(1956)。この中で彼は、分析家の共感や洞察は、理論的な知識から区別されるものであり、患者の自己の種々の側面、例えば幼児的な自己に同一化し得る分析家の能力にかかっていると強調している。彼はまた、患者と分析家の心的過程の間の無意識的な相互作用について述べ、患者に属する部分のもつれをほぐし、それを解釈するために、患者と分析家自身とのそれぞれのなかで起こっていることを分析家が意識化することの重要性を述べている。〜
〜もっと理論的にいうと、彼女の転移反応は大変特異なものだったので、私はそれを見てとることができなかったのである。しかし、私自身の患者への気持ちや反応が、よりよい理解に達するガイドであるとわたってきたので、私は自分自身の患者への「逆転移」をより徹底的に検討した。私の個人分析が、患者に対する私の反応を理解する助けとなった。個人分析はまた、患者が機能している幼児的なレベルに相応する私自身の部分を賦活した。それは私自身の個人分析のなかで徹底操作された。次第にミルドレッドのなかで極端に優勢となっている防衛機制と同じもののいくつかを私自身のなかで体験し始めた。すなわち、自己が分裂し、自己の良い部分と悪い部分とが他者、特に分析家に投影されるという、メラニー・クライン(1946)が「投影性同一視」の過程として記述した分裂機制を体験し始めたのである。このようにして、私がミルドレッドとの関わりで感じていた多くの難しさは、ミルドレッドが私に彼女の部分を強烈に投影していること、報復されるという迫害的な恐怖をもっていることによることがわかった。私が、セッションのなかで自分の感情の途絶や防衛に気がつけるようになると、ふたつの事柄が起こった。私がミルドレッドをよりよく理解できるようになっただけでなく、彼女もよりオープンに感情を示すことができるようになってきたようだった。おそらく、彼女の内部で起こっていることに対して、私が前より受容力が増したことに彼女が気づいたのであろう。〜






2,恐怖、迫害、恐れー妄想性不安の解析
ドナルド・メルツァー
 〜この小論文は、メラニー・クラインにより定義された対象関係における妄想−分裂態勢を探究していくものである。それは、クラインによる精神構造形成での分割過程の役割そして対象関係の力動での投影同一化の機制の発見で可能となった、人格についてのより深い理解を用いた分析作業から得られている。 心的苦痛のひとつのスペクトルは、妄想性不安paranoid anxietyの範疇に包括されるが、この研究は他の著者によって詳細に検討されてきている。たとえば、ロゼンフェルトによる混乱confusion、スィーガルとビオンによる破局不安catastrophic anxiety,そしてビオンによる言いようのない恐れnameless dreadである。十分に定義されていない用語、絶望hopeless,失望despair,無力helplessもまた扱わなければならないのだが、この論文では3つに限定している。すなわち、恐怖terror,迫害persecution,恐れdreadである。私は、これらをメタ心理学的に定義し、分析過程におけるこれらの位置づけと相互作用を示そうと思うが、これらが作動し相互関連しているのを示すため、ひとつの症例を呈示する。〜








理論的検討と要約
 恐怖Terrorは妄想性不安であり、その本質は行動手段を残さない麻痺にある。恐怖の対象は、無意識の空想では死んだ対象群であるが、それからうまく逃れることすらできない。しかし心的現実においては、対象の生命力は、奪われているかもしれないが、神学における身体に対する霊魂のように、戻すこともできる。これは、内的両親とその創造的性交の償う能力によってのみ成し遂げられる。
 内的対象群の償う能力に対する依存が、エディプス的嫉妬とか破壊的羨望により妨げられると、この修復は睡眠や夢を見ている過程では生じえない。幼児期水準の母親の乳房という転移的意義を担っている、外界現実における対象だけが、これを成し遂げられる。幼児的依存が、羨望からの中傷活動や分離に対する生来の直りにくい耐えられなさにより阻止されているときにでも、認識はされていないままに何度となくこれは試みられていよう。 有害なマスターベーション攻撃により、内的なよい対象群への依存が実行不可能となった場合、そして、よい外界対象が得られないかそうとは認められない場合、暴君への服従といった、自己の悪い部分への嗜癖的関係が生じる。安全さについてのまやかしが破壊的部分の全知により広められ、倒錯とそれに含まれる嗜癖的活動により生み出された全能感により永続化される。暴君的で嗜癖的な悪い部分は恐れられる。暴君は、とりわけ反抗のちょっとした兆しでも感じられるなら絶対迫害者のように振る舞うかもしれないが、自己の服従的な部分に対する引き留めの本質は、恐怖への保護が失われる恐れによっていることに気づくことは重要である。結論に行きついたが、抑うつ不安への耐えられなさのみでは、あるいは、それが傷ついた対象からの迫害と結びついたとしても、暴君への服従という嗜癖的なコンステレーションは生じない。心的構造において暴君との嗜癖的関係が失われることへの恐れが見出だされる場合、恐れと服従の背後にある力として、恐怖の問題がその中核に見出だされるであろう。 そのような自己愛構造体が解体され、そして、悪い部分という暴君に対する反抗が開始されるまで、抑うつ態勢のスレッシュホールドへの進展は不可能である。その上、これが生じるまで、分離や抑うつの苦痛への耐えられなさや、迫害に直面したときの臆病さ、といった精神病理における要因を、正確には判断できない。暴君との関係において感じる恐れは、恐怖に対するまやかしの保護が失われる恐れであり、休暇による分析の中断のあいだでのように、そのとき不十分か得られないと思われていたよい対象群との同盟のもとに反抗が開始されてしまっているとき、とりわけ出現してくるのが見られよう。