うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

浜松の何気にステキと、【けれども、勇気を持って受動的に聞くことに加えて、おそらくは子どもからのあまりにひどい投影、すなわち子どもが自分にされたと感じていることを必死に私たちにする必要性に対して、あまり被虐的にならず確固とした態度をとることは、有益に思われます。】


 先日、所用で浜松に行った時にうつした写真です。




 歩いた街が中々素敵で、川口もそんな感じだったなと思いながら沢山写していましたが、一部だけアップさせて頂きました。
 こんな近場にステキな場所があるなら、連休がもしもらえたら、安宿で一泊して街を探索したいなと、思いました。作品のネタが沢山ありました!

 今日は、夕方歯科医院に行くまで時間があったので、すろーじゃむの木を剪定したり、畑に水をあげたりして来ました。暑かったので一汗かきました(笑)ワイン用のブドウは、人が死ぬくらいの猛暑の年のビンテージが一番良いと言われます。ブドウには水をかけなくてもいいので、宜しくお願い致します!
 イチゴにはこの時期は、沢山上げて下さい。

 明日の夜勤から、平常通りの仕事に入れます(笑)やっぱり現場が一番ですね!


 今日は少しだけ早起きして、マックでコーヒーを飲みながら『こころの再生を求めて』を読みました。
アップは、昨日読んだ箇所ですが、基本的なことが沢山出ていたので、復習にも、忘れていた事を思い出す機会にもなりました。
 下記が一番言いたいことでは?とアルバレズやタスティンを読ませて頂いてたら、そう思います。

『けれども、勇気を持って受動的に聞くことに加えて、おそらくは子どもからのあまりにひどい投影、すなわち子どもが自分にされたと感じていることを必死に私たちにする必要性に対して、あまり被虐的にならず確固とした態度をとることは、有益に思われます。』





こころの再生を求めて (ポスト・クライン派による子どもの心理療法)
アン・アルヴァレズ著

千原雅代・中川純子・平井正三 訳

序章 精神分析における最近の発展
過去
〜この「投影同一化」という現象に含まれる状況は、例えば会うといつも自分が知的で魅力的であると感じさせる人々がいる一方、いつも自分が間違いをしでしかしていると感じさせる人々がいることが例として挙げられます。人間は、しばしば知らず知らずのうちに非常に独特でときに強力な感情を他者に引き起こします。そして、私たちは、自分自身の人格から望まれない部分もしくは単に認知されていない部分を取り除くために、あるいは特定の感情や思考や才能は決して自分のものはあるはずがないと本当に信じているために、ある種の系統的なやり方で繰り返しこれをするかもしれません。自分よりも頭がよく、学校の成績もいい兄を実際にもつ子どもがいるとしましょう。もしその子が、家族に関するこの事実によってみんな自分より頭がよく自分は馬鹿だと信じるようになったら、その子は他者をより頭がいいものとしてみている(Freud の投影の概念[Freud 1911a])だけではないかもしれません。その子は、単にある知覚をしているというよりも、もっと積極的な、自分の人格を持続的に貧困にする何かを行っているのかもしれません。つまり、その子は、自分で考えることのできる場面で、人にそれをやらせたり、あるいはさらにそのように仕向けたり(Melanie Klein によって記述された投影同一化[Klein 1946])しているのかもしれません。

〜過去との様々な結びつきはもちろん重要です。しかし、それらは決して、生きている相互作用を見ていくことの代わりにはなりませんし、またこのような相互作用の中で起こっているかもしれない、人格の貴重な部分のしばしば危険な侵食(Joseph 1975)について見ていくことの代わりにもなりません。
 いくつかの点で、このように現在に注意を払うことは、精神分析心理療法家の仕事をもっともきつく骨の折れるものにしますが、またずっとおもしろいもの、計り知れないほどよ生き生きとしたものにします。チャックのように口を閉ざし、距離のある冷たい分析家-科学者という大衆イメージは、本当のところもはや当てはまりません。おそらくかわりに、喩えられるべきなのは、訓練され熟練していながら常に即興で演奏している音楽家です。精神分析心理療法家は、患者、同様に、生きている必要がありますし、また感情を伴った体験から、そして(当然ながら)実践からも学ぶ必要があるのです

Bion は、先に述べたタイプの投影同一化過程、つまり患者によって喚起された感情を自分自身の中に観察しました。そして彼が気がついたことは、自分の分裂病患者がこのような過程を用いるのは、防衛でもないし、人格の中の認められていない部分が単に自分のものと認知されていないためでもない場合があることでした。それは、場合によっては、患者は自分自身が耐えられない感情をBion に担ってもらう必要が本当にあるためのようでした。Bion は、ある種の投影同一化は非常に深いレベルで誰かに何かを伝達する必要性を表現していると示唆しました。彼は、これが通常の発達における基礎的過程と関わると見なし始め、患者の感情や思考を分析家が「包容(contain)」し「変形(transfom)」することを、母親と小さな乳児との間で起こる、原初的であるが強力な前言語的コミュニケーションに喩えました。母親の夢想(reverie)の能力は、乳児の危機や興奮を包容し、耐えられる体験に変形することができると、彼は書いています。彼は、これは通常の母性的機能であると示唆しました(Bion 1962,1965)。そして、多くの分析家たちは、このような質の高い理解が、精神医学的に病んでいる患者だけでなく、すべての患者の治療に中心的なものであると考えるようになりました。〜

しかしながら、私たちができるのは、子どもの内部に何か新しいことが起こる機会を与えようとすることのみです。(子どもに同じ時間に同じ部屋で会うという)精神分析的設定がもたらす信頼性と規則性、そして精神分析技法の確固とした構造は構造と秩序が子どもの心の中に生じる機会を与えます。この「包容」のための機会が与えられれば、重篤に病んだ子どもや境界例の子どもや性的虐待を受けた子どもにおいて、あるいは剥奪を受けた子どもにおいて特に印象的な結果をもたらします。子どもの治療に携わる多くの人は、子どもの破綻を導いたものが何であるかうまく説明したところで、恐怖を宥めるのにはなんの役にも立たないことを熟知しています。けれども、勇気を持って受動的に聞くことに加えて、おそらくは子どもからのあまりにひどい投影、すなわち子どもが自分にされたと感じていることを必死に私たちにする必要性に対して、あまり被虐的にならず確固とした態度をとることは、有益に思われます。