今日は、講義があるので、お休みを頂いていましたが、昨日事務の予定が支援に入ったので、午前中に事務をして社労士さんに持っていきました。事務所に寄ったついでに、少し覗いてきました。世話人さんが料理を作ってくれていて、まりちゃんが沢山お手伝いをしてくれたので、助かったとのことです。りえちゃんは応援(笑)していました。皆さんの笑顔がにいつも助けられています。ありがとうございます!
教科書はルーチンとして早朝に読ませて頂きました。いつになったら通学できるのか?と思いながら、毎日ニュースを見せて頂いていますが、宣言解除から首都圏が大変な日々が続いています。当分無理そうですね。7月が終わると、大学院のカリキュラムも1/4が終わります。単位が取れる取れないは別として........。
皆藤先生のこの本が出たのは大分前ですが、何も変わっていない気がしていますし、ますます生きづらくなっているような感じの方が強く感じます。
~そして学校は、次第に「あきらかな差異を背負った子どもを排除することによって、かぎりなく閉ざされた均質的時空を形成」するよってなり、このことによって、必然的に、秩序の安定条件としてのさせての消滅の危機が生じ、子どもたちの共同体が脆弱で不安定なものになったと指摘している。
つまり学校という子どもたちの共同体には、「安定した秩序も、ヒエラルキーも存在しない」のである。
このような事態にあって、子どもたちは異質であることを回避し、かぎりなく強迫的に同質であろうとする。
これが模倣欲望による分身化である。そうしなければ、異質であれば、その子どもは秩序の安定のために排除されるからである。
現在のいじめに特異なことに、いじめが一対一ではなく、一人対集団(の全員)というのはかたちで行われるという現実がある。……いじめられっ子は、集団のアイデンティティの危機を救済するためにささげられる生け贄なのだ(赤坂 一九九一)。~