うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

キレる!と、【それゆえに、心理療法で要請されるのは、北山(2009)が示したように、蓋をつけることであり、覆いを作ることである。】

キレる!: 脳科学から見た「メカニズム」「対処法」「活用術」 (小学館新書)

f:id:ka-gu:20190802212001j:plain

 今日も(笑)、色々とあり1泊しかしていない病院から、大変なのでうちに預かれって、恫喝まがいに電話をしてきた病院の婦長さんがいました(笑)。直ぐに動き難を得ませんでしたが、何か彼の国みたいな脅しで(笑)こちらが屈するとでも思ったのでしょうか?そういうところは、相手からしたらいかんせん(笑)、百戦錬磨のちっさいおっさんに電話してきたものだから、しっかりと玉砕しておきました。その利用者さんは、うちでは月に一回ご利用されているだけなのに、なんという病院でしょうか?市民病院から紹介されて来たけど、障がいがあるなんて聞いていないって、それはうちではなく、市民病院にいうセリフでは?と思いました。病院に直ぐに駆けつけお父さんにお父さんのご意志を確認して、相談支援と話をしましたが、相談支援にも恫喝まがいのことをしていたようで、困っていました。わざと直ぐに結論を出さないで市民病院にかかってからの話だと突っぱねて戻って来たら、最初病院にケースワーカーがいないのか?と聞いたらいないって婦長さんが言っていて変だなと思っていたら、やっぱりいて(笑)、市民病院のケースワーカーと話がついて、転院先がきちんと固まるまで見るとの事.....。ちょうど中野信子さんの本を、皆藤先生の本と並行して読んでいたので、納得しました(笑)。

 ワンストップできる病院を探しておかないといけないとお父さんにはお話させて頂きました。うちの施設でも、ご利用者さんだけでなく、その方の親御さんのことで動くことが多くなっています。それだけ親御さんの高齢化が問題になっています。

 

 

 上記の病院の方は下記のような覆いや表面を整える事に対して、気をつけないのでしょうか?人は見かけじゃないって言うけれど、それは美しいとか醜いとかではなく、きちんと表面を整えようとしているのか?の問題だと思われます。美的センスがあるならば、そんな言い方を、しかも初めて電話する所にしないとも思われます。

  引用は、東畑開人先生の『美と深層心理学』からです。

美的な次元の葛藤
 ~内沼(1987)が対人恐怖症において関係妄想の果たす役割を考察しているように、彼らには対人関係における些細な徴候から悪意を読み取ってしまう洞察的なありようが備わっている。

  特に自己臭恐怖や自己視線恐怖といった症状では、自己を包む表面が不全であり、ケガレがむき出しになっている苦しみが語られることは稀ではなく、対人恐怖症という表面をめぐる文化的な苦悩は、それに対する日本に固有な回復プロセスである“葛藤は美的解決”の陰画になっていると考えられる。
 それゆえに、心理療法で要請されるのは、北山(2009)が示したように、蓋をつけることであり、覆いを作ることである。

 それは性に衣装を纏わせることであり、生々しい思いを歌で包むことである。この美的な変形を可能にするのが、箱庭療法に象徴されるような早期母子関係であった。

 ここにこころの防衛を解消し、抑圧された内容を徹底的に咀嚼する深層心理学においては軽視されてきた、表面をめぐるこころの力動がある。

 この壊れやすい表面を修復すること、そこで機能している表面的な現象こそが美であろう。