うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

音楽っていいな~と、銀次郎さんとROIKIさんと、【心理療法の理論や方法論はそれらを実践において、心理療法家とクライエント双方に多くの影を落とす危険性を孕んでいるのである。】

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 土曜日の夜勤時、早く仕事を済ませて、皆さんと音楽を楽しみました!

今まで見ておられるだけの方が、自らギターを手にされたり、きちんと音楽に向き合って(ファッションではなくw)来て良かったな!と最近思います。同級生の桂む雀師匠が、中学3年の時に、絶対ギター止めたらあかんで!芸は身を助けるで。って言ったくれた事は、今でも忘れません。彼は脳梗塞で半身不随になってしまいましたが、彼が周囲の人を大事にしていたので、今でも周囲の方々がきちんとフォローしてくれ、毎年ABCホールでコンサートをされているとのことを、先日訪れた同級生が話してくれました。早く同じ舞台で音楽ができたら、と願ってやみません。

 

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 こちらでも音楽活動が出来るようにと、ファッションや上辺だけでない方たちを探して仲間に入れて頂こうと考えて、昨日も銀次郎さん主宰のライブに行かせて頂きました。高知出身のROIKIさんの西成でライブされていた時に、知らないおっちゃんが作ってくれたという3弦エレキが最高に音も見かけも良かったです!大阪人に(自分も大阪人ですがw)ガラの悪い音やな(笑)と言われたそうですが、自分は良い音だな!と思いました。連れがいなかったらお願いして弾かせてもらいたかったので、また来られると言う事なので、今度は一人で行って来ます。本当に凄い人の音は綺麗のですが、中々皆さんそこまで聞いていないですね......。マディウォーターズの音なんかめちゃくちゃきれいですね!ジミヘンもきれいし、スティーヴ・レオヴォーンもきれいです。歪ませれば迫力も勢いも出ますが、歪めせておられるかたのなかにも綺麗な歪みの方もいます。

ジミヘンは、ブルースは簡単だけど、音がない間に音を感じないといけないので、本当は難しいようなことを言っていました。クール&レスポンスのどちらかの音を弾かずに頭の中で鳴らしている感覚でしょうか?

 

 

 下記は、今読ませて頂いている、皆藤先生に戻りました。東畑先生が影響を受けた本と言うのが分かる気がします。福祉でも、何か目新しいことをして自分はこんなことを大変な思いをしてやってきたと、臆面もなく世に発信する輩がいますが(笑)、そんな輩は中身が無いのでほっといて(笑)、本当に真摯に現場に向き合っておられるからこその 発言だと思われます。自分はアナーキーですが、真摯に現場に向かっておられる方には反抗はしません(笑)。偽善者には徹底的に反抗したくなります(笑)。左も右も嫌いです(笑)。

 レベルは全然違いますが、福祉の現場でもそうだと思います。TEEACHやPECSも心理学を勉強していないと、下記のようになってしまうし、偉い(自分は現場も見ていないのによく指導と言うなwと、本当は概要を言っているのかも知れませんが)先生方の言った通りにしても何も変わらないと、言うことも、偉い先生がこういったからこうすると頑固に、改善もしないのに、ブランド志向の方々をみていると、もっと利用者さんを見てあげれば分かるのにと、偉そうに(笑)思ってしまいます。皆藤先生が言われるように、理論や方法論の学習は必須で(禅で言う無学に近いのかも?)、その上に立っての発言なので、自分の良いように解釈しないように、何度か釘も刺されておられます。考え方の軸と言うのは大事なので、またそれがないとぶれるので、きちんとした基礎は福祉だけでなく、アートでも音楽でも必須です。

 

 TEEACHでも、佐々木正美先生がきちんとした心理学を知らないといけないと断言されていましたし、それよりもなにも、皆藤先生が言われるように、セラピストとクライエントさんとの関係ができていないと、何も始まらないのではないでしょうか?

それは障がいの有無関係なく、必要な事ですね。バーチャルや迎合や、人気取りだけでは無理で、転移をきちんと受け止める姿勢(時には苦痛ですが)が必要とされます。

 

生きる心理療法と教育 臨床教育学の視座から
皆藤 章著

   ~けれども、自然科学が人間の営みに大きな影を落としてきたことも、また事実である。公害や原爆による病を想起すれば、ただちに了解されよう。このことは、人間の営みと密接にかかわる心理療法の領域にも言えることである。

 心理療法の場に安易に理論や方法論をもち込むことは、唯一無二の個人であるクライエントに相対しているという体験的事実を軽視することになり、その結果、クライエントにはかりしれない傷を負わすことになる。実践的にはそうである。

 筆者は、心理療法の理論や方法論は客観的・普遍的なではありえないと思う。それらが絶対的であると誤解すると、そしてこのこと自体がすでに心理療法家に影を落としているのであるが、そのような誤解は上述したような影をクライエントに落とすことになる。

 すなわち、心理療法の理論や方法論はそれらを実践において、心理療法家とクライエント双方に多くの影を落とす危険性を孕んでいるのである。