うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

お茶畑と、お地蔵さんと、すろーじゃむの湯と、マスクの効果を患者の実験で確認 香港大学など研究グループと、NYタイムズ、マスク型枠を紙面に掲載 品不足に一手と、【 したがって、理論学習だけでは心理療法の腕は上がらないにしても、理論学習抜きにしてはそもそも「心理学すること」は不可能だと言える。】

 

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朝は桜を車窓から眺めたり、蔵王山に車で登って、直ぐにお茶畑のある方に降りて。皆さんで新芽を見ました。

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 以前、うたたねの敷地に置いてあったお地蔵さんを、まりちゃんがまた置いてほしいとのことで、今の世界的な危機のこともあり、身代わりになってくれるというお地蔵さんに来ていただきました。本当に祈ることしか出来ない毎日です。

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 午後からは、男子はすろーじゃむの湯に向かいましたが、車に乗ったら、まっつんがいきなり.......。皆さん大うけして、いのうえっちは、おっちゃんの方に足を向けてきました(笑)。

 

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  すろーじゃむの湯に浸かると、みなさん嫌なことが忘れられるのか?ほっこりされていました。一人でしか入れなかった方が、皆さんと楽しそうに入っておられると、こちらまで楽しくなってきました!

 今日も一日、笑顔で終えれたこと、皆様に感謝です!

 

 下記は先日見たニュースです。NHKの方は、昨日の会議に使わせて頂きました。

マスクなんかしてても関係ない!と、重度の方を入院させた先の医師(渥美病院ですが)が以前、花粉症がひどい自分に、恫喝のごとく言って来たことがありました。もうその医師はいないようですが。重度の方を指して、こんな奴らをのさばらせるな!とも言われたこと今も忘れません。先日行った緊急の家族会でも、障がいをお持ちの方々の入院先を確保するのが難しいことをご家族に伝えましたが、やはり皆さん、自分の身に降りかからないと理解していただけないようでした。病院がある法人の施設にいるというだけで、それが逆にその方の支援が難しいと分かっているならなおのことだと思われます。先日、二川病院から、月に一度しかご利用のない方を、一刻も早く引き取りに来いって、恫喝するように婦長さんが電話をかけてきて、様子を見に行き、お父さんに事情とお気持ちを聞いてから病院にケースワーカーがいないのか?と聞いたらいないと嘘までつかれ、金曜日の夕方だったので、救急で運ばれた市民病院が外来をする月曜日まで入院させて頂くようにして、月曜日に市民病院に行って事情を話したら、結局入院できるって.......。まあ、それだけ難しいことなので、今回のCOVID-19の騒動時は、しばらく日中の施設に行くのを自粛させて頂いています。ただでさえ、医療崩壊が叫ばれていますし、愛知県なんか知事はベッド数は確保できていると、マスクなしで上から言っていますが、病院・医師側からすれば、医療崩壊する可能性を言っているという顛末です。ここでも現場を本当に知らない方が、上から偉そうに話すだけです。しかし、それに文句を言いながらも従ってしまう市民は、ブラック企業で文句を言いながら働いてしまっている方とどう違うのでしょうか?自分には全く違いが分からないし、もし自分にお学齢児がいたなら、迷わず登校させません。大事な方の命より大切ものはありません。

www3.nhk.or.jp

 こちらは、少し前のものです。アップさせて頂こうと思っていましたが、後出しすることにしました(笑)。忘れたころにアップした方が、より多くの方の目に入ると思ったからです。マスクは高額になってしまっていますが、まだ手に入りますが、アルコール不足の解消は、まだ先のようですね.......。

 

 しばらくは、東畑先生の引用が続きます。

物を考えていく際に、軸となるものがないと、思考することが出来ないというのは、理解できる気がします。自分は独学で偉そうには言えませんが、クライン派の理論・概念を使わせて頂くことで、軸ができ、考え方がぶれなくなったと思います。それだけを宗教のように信じてついていくということは、残念ながらできませんが、色々な理論・概念を身に付けることによって、考え方の幅も増えるし、何よりも偏った思考になってしまわないことが一番大事だと思われますので、より一層幅広く且つ深く学習していくことが大事ですね。簡単なことではありませんが、チャレンジしてみる価値はあります。

 茶道に割り稽古というのがありますが、それも、その形が出来てからでないと、流れるようなお点前はできません。

     ~まり、心理学理論そのものは抽象的なモデルに過ぎないが、治療者はそれを参照枠にして、具体的にクライエントの理解を行っていく。それが、クライエントの問題を心理学理論の文脈に照らして定式化し、臨床的リアリティを構成していくのである。

 こにアートとしての臨床技能が必要とされる(河合、2003)。現実の事例はきわめて複雑な事情や曖昧な要因から成り立っているわけだが、「心理学すること」はその複雑性を読み解き、筋の通った説明へと落とし込んでいく。

 れは無論、現実の多様性をある程度捨象したものであるのだが、問題は心理学的鋳型によって象られることで、対処可能なものへと変形されることになる。

  のときの、定式化の細やかさや精確さにこそ、臨床技能が発揮される。ケース・カンファレンスで様々になされるコメントは、この作業を端的に抽出したものだと言えよう。

 たがって、理論学習だけでは心理療法の腕は上がらないにしても、理論学習抜きにしてはそもそも「心理学すること」は不可能だと言える。