うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ローズピアノがある喫茶店で、ルワンダのコーヒーと、【そして、二人のこの主観的な関係は面前時間の終わりと共に断ち切られ、現実の日常にもどりなくてはならない、バカンス的なものであった。しかし、このはかなさにこそ、ともに眺めることの本質はないか。】

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 堺駅(南海)駅前に、ローズピアノがある喫茶店がありました。

珈琲豆は選べたので、飲んだことが無いルワンダのコーヒーをお願いしました。淹れたてを出してくれるお店でもあり、焙煎もほど良く飲みやすく豆の酸味も残っていて美味しかったです。カップは有田焼で統一されていて、テーブルや椅子は逆に統一されていませんでしたが、座ってみたい椅子があり、向いがソファだったので自作のバッグを入れて写してみました(笑)。ピアノは鳴る時とならない時があると、若い店員さんが教えてくれました。ちょっと聞いてみたくなりました。

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 前夜は酔っぱらったまま(笑)、ギターの試奏をしてきました(笑)。イギリス製のエレキを弾かせて頂きましたが、酔っぱらっていたのと、弦が錆びていたのと、全くフレットが減っていなかったので、音は悪くも良くもなかったですが、指が全く滑らなかったので弾きづらかったです。ピッチは18フレットまでしか確かめていませんが、大丈夫でした。30,000円.......。今の自分には大金です.......。でも弾いていると友達が沢山出来そうな感じがしました(笑)。

 

 

 大阪で「ここで何してるんやろ」と思っていた時に下記を見たのでシュターナー・オグデンをちょっとおいて、東畑先生からの引用にしました。

 確かにエビデンスは必要でしょうが、支援に対してのエビデンスと言うのは、一人ひとり全く違うものなので、一人ずつにエビデンスが必要なのでは?とも思います。そこに入ることが出来ない方は排除されるのでしょうか?新たな障害名・病名がつけられるのでしょうか?

 ポピュリュズムというのは政治の問題だけではなく、医療や福祉の現場でも大問題になっています。特に部外者が騒ぎ立てる傾向があります。本当に、真摯に現場に・利用者さんに向かわれている方々は騒ぎませんし、今の流れに危機感すら覚えているのではないでしょうか?結果よりその過程、何をしたか?よりも何をどうしたか?が大事なのに、結果ばかりしかも早急に求められている現状は、重度の方を受け入れないという事が広がってしまっている現実をも生み出しています。5年かけて離席しないで食事を摂れるようになった方がいます。意思表示が出来なかった方が、きちんと出来るようになった方がいます、人混みが苦手で、お店に行けなかった方が生けるようになっています。一人で寝れなかった方が、一人で寝る事が出来るようになっています。排便・排尿困難だった方が、薬を使わずに改善された方がいます。親御さんが信用して預けて下されば、きちんとした支援ができる支援者は少ないですがいますので、そのような支援者が浮かばれる社会になって行けるようにしていきたいです!

下記とは違う、はかなさを感じてしまう毎日です。


6 美のはかなさと意味

 しかし、この関係はきわめてはかない。「うちら何してるんやろ」と、Eは一度このともに眺める関係の意味を問うたことがある。それはこの関係のはかなさへの問いであった。

 確かに二人の関係では直接的に不登校に照準を合わせた語り合いがなされたわけではなかったし、こころの深層を探求することで、不登校の背景にあった心的世界を明るみに出そうとするものでもなかった。

 だからこそ、「何をしているのか」という二人の関係の意味への問いが生まれたのであろう。そして、二人のこの主観的な関係は面接時間の終わりと共に断ち切られ、現実の日常にもどりなくてはならない、バカンス的なものであった。しかし、このはかなさにこそ、ともに眺めることの本質はないか。

 



※そしてまた昨今は治療効果の実証性を謳うエビデンス心 理学や、抵抗分析とワークスルーといった確固とした治療機序をそなえる精神分析の前で、美が紡ぐ関係はとてもはかないものだ。客観性の暴風を前にして、主観性の火は消えんとしている。