うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

山海料理・仁志乃さんと、【しかしもし分析家が、自分が中心的な役割を失ってしまったことに耐え、自分が置かれた転移の配置を理解することができるならば、役割を失うことに関わる感情を解放できる可能性が生まれるのである。】

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 和泉市に個展を開かせて頂くために行き、その足で以前から気になっていた、小学6年生と中1の時に同じクラスだった、西野君がやっているお店に行って来ました。下記を開いて頂くと、彼が頑張っている姿が見れます。29年間お店を経営しているとの事で、感服しかありませんね!彼はずっと地元で暮らしているので、小学校時代の同級生との交流も続いているのが羨ましい限りで、当時、一方的に恋焦がれていた育ちゃんの写真も見させて頂きましたが、年齢を重ねても美人のままでした。機会があればみんなと会わせてくれると言ってくれたり、む雀師匠に電話をかけてくれて、直に話させてくれたり、本当に感謝です。自分は阿倍野から小学6年生の時に堺市に転校してきて、母親が自死して、継母になってから、貧困家庭で自宅に電話も引けない状態だったので、自信が持てず積極的になれなかった中で、む雀師匠が最初に、一緒に散髪に行こうって誘ってくれたりして何とか友達入りできたので、彼・彼女たちには本当に感謝しています。ほんまっでっかTVに出ている同級生の話もしてくれましたが、彼達は元々地元の人たちなので、自分にはあまり繋がりがなく、ただ漠然と同級生だった彼が大学教授で凄い発明をしたんだ。くらいの思いしかわかず、どこに行ってもバガボンド状態(笑)。

 取り敢えず、西野君も、む雀師匠もウエルカムで嬉しかったです!以前から話を兄弟子の九雀師匠と話をさせて頂いている、む雀師匠と同じ舞台で演奏が出来たら嬉しいです。

 

 料理はおいしかったし、日本料理なので、夏には涼の演出がなにより嬉しいですね!



 貧困家庭で育った自分にも意地があります(笑)。上記の大学教授の彼は(梶本君)豪邸に住んでいて、自分なんかお呼びでない感(笑)がありましたので、そういうのも含め、本当にマイナスから這い上がるために自分なりにやれることはやってきたつもりですが(笑)、今はぬるま湯に浸かっている感じがしてならないので、命が許す限りきちんとした目標を持って頑張ります。福祉の現場で働く支援者が、福祉業界の中で一番上に君臨(笑)できるようにさせて頂くのが自分の使命だと(笑)勝手に決めたので、まずはそれをしないと死んでも死にきれない(笑)のと、アートと音楽を極めることです。双極性障害の方は、一つの事だけに集中出来ないから複数の事をしないといけないと言うのが、神田橋先生の持論なので、神田橋先生を信じて(笑)、そうさせて頂きます。

 

 ここは、うたたのブログなので、福祉を中心にアップさせて頂いています。

 

 下記は、もう死語になっているのかも知れませんが、利用者さんのニード・ニーズよりも、支援者のデマンドが優先されてしまうということが、こういう状況においてなされるのではないのか?というようなことが書かれているように思いました。支援者も人間で、自分の生活もあるので、滅私奉公的な事が出来ない事が往々にありますが、その辺を念頭に支援方法を考えて行く必要性も感じます。キーツの復習でもあり、ウィニコットのいう、生き残るという意味合いも含まれているようにも感じました。

 

第4章 分析家への〈排除された観察者〉という転移

 ~さらにいくつかの臨床素材を利用して、ある重大な転移状況について記述しようと思う。この状況は、クラインが大枠を述べた「全体状況」の一部をなしているにもかかわらず、今まで十分に強調されてこなかったと思われるものである。この種類の転移においては、分析家は自分が〈観察する位置observing positions〉に立たされ、〈原初的対象primary object〉として愛や憎しみを向けられていないことに気づく。そしてその代わりに〈排除された人物〉の位置に置かれ、しかも自分が置かれている役割について理解する代わりに、簡単にその役割を実際に演じてenactしてしまう。   

 この状況に陥った分析家が、転移における患者の原初的対象の立場を取り戻そうとすることもある。あるいは逆に、転移の対象となるのを完全に避け、転移外解釈を行い、かえって審判的で批判的な超自我像の役割を演じてしまうかもしれない。
 しかしもし分析家が、自分が中心的な役割を失ってしまったことに耐え、自分が置かれた転移の配置を理解することができるならば、役割を失うことに関わる感情を解放できる可能性が生まれるのである。