うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

お薄と、【分析家は患者のこころに自分のこころが接することが重要であると考えるため、フラストレーションを感じ、能動的な役割を担うよう動かされやすくなる。】

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 今日は、昼食をすき屋さんで頂き、散歩などして、池ノ原でお薄を頂きましたが、裏千家さんの大きなお茶会があった様で、大きな座敷にはお客人が沢山おられました。

 かおちゃんは、見事に最後まで飲み干されました。みなさんここに来ると、落ち着かれますね!以前、アグネスチャンさんが、香港人のDNAっていうのがあると言われていたのを、思い出しました。みなさんは日本人のDNAがあるのかも知れませんね。昨日のまり子さんにもそう感じました!

 

 

 下記を今朝(早番で早めに行き、ファミマで本を読んでいて)読んでいると、ふと、相模原であった、悲惨な事件を思い出してしまいました。『優勢思考』とか『愛着障がい』という議論がなされていますが(ご両親が、彼から逃げていたように思われるので、ある面愛着障がいから自己愛的になってしまい過ぎたのかもしれませんが)、個人的にこれかな?と、思ってしまいました。岐阜の友人の支援が、本になった時に、彼女が漏らした『人に褒められるために、自分はこの仕事をしているのだろうか?』という言葉も思い出しました。個人的に言い換えれば、『感謝されたいから、この仕事をしているのか?』でしょうか?ハリー・スタック・サリヴァンは、良い精神科医精神分析家も)の条件として、生活の糧として仕事をしている医師が、自分の地位を確立したり、名声を轟かせたいがために、仕事をしていないので、冷静に患者さんを診れると言うようなことを言っていました。一理ありますね!人間だから誰でも自分の拠り所がないと生きていけませんし、口では素晴らしいことを吹聴していても、実際は全く現場なんか見ていなかったり.......。一緒に仕事をさせて頂ければ、簡単に見破れますが(笑)。

 

 話がいつもの如く、愚痴になってしまいましたが(笑)....。

 

下記の順を追って行けば、彼の思考と行動が、手に取って分かるような気になるのは、自分だけでしょうか?

『努力がうまくいかないと、援助者になろうとしていた患者は鬱憤をため、不満を持ち、怒りを感じる。』

『この状況で、患者は鬱憤と激怒rageしか伝えられないこともあり、分析家はこの感情に反応せずにそれを受け止め、受け入れることができなくなる可能性がある。』

『分析家は患者のこころに自分のこころが接することが重要であると考えるため、フラストレーションを感じ、能動的な役割を担うよう動かされやすくなる。』

 

 能動的な役割を担うようにと言うのは、転移⇔逆転移の関係をきちんと観察できていなくて、逆に支配されて動かされているのに全く気が付かなくなって、その方々の本当に必要なことを見る事ができなくなってしまって、悪い方に行動化してしまったのでは?と思ってしまい、早く起きたにも関わらず、覚醒してしまいました。

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『強い人と弱い人』の本には、弱い人は、どんどん悪い方向に分かっていても行ってしまうとも書いてありました。本の表紙が全く違っていたのでびっくりしました!

 自分が二十歳に買った本はまだ、ヨルダン社があった時の本で、威厳のある表紙でした。河原町丸太町下がるくらいに、あった様な覚えが、自信はありませんが(笑)あります。

 

 偏らずに知識を得て行かないと、本当の支援ができないなぁ~と、日々思います。

 

 

見ることと見られること
ジョン・シュタイナー
第6章 分析セッションにおける無力感と  権力の行使

 患者の一見他者を援助しようとする態度は、本来は自分自身の傷ついた自我を修復しようとするものである。それがうまくいくことはまれで、たいていは対象に感謝されない。努力がうまくいかないと、援助者になろうとしていた患者は鬱憤をため、不満を持ち、怒りを感じる。この様相は、コフート(Kohut,H.1972)が自己愛的憤怒と呼ぶものに近いと思われる。この自己愛的憤怒は、自己愛的誇大性が脅かされ、患者が屈辱を受け格下げされたと感じるときに生じる。コフートは、患者は内的な自己愛的傷つきを癒そうとし、自己愛的な優越性を再び作り上げることで、自己価値の感覚を修復しようとしている、と考えている。

 

 ~援助者として成功している、という自分自身のイメージに応えられないと、こころの平衡状態を維持するために頼ってきた自己愛的優越性が脅かされる。この状況で、患者は鬱憤と激怒rageしか伝えられないこともあり、分析家はこの感情に反応せずにそれを受け止め、受け入れることができなくなる可能性がある。このような状況こそが、ジョセフが「セッションに現れている患者のパーソナリティ部分は、実は、別のもっと愛情に飢え、ひとのこころに応え、受け入れる可能性のあるパーソナリティ部分を分裂排除し続けている」(Joseph,B.p.75)と記述する状態を生む。分析家は患者のこころに自分のこころが接することが重要であると考えるため、フラストレーションを感じ、能動的な役割を担うよう動かされやすくなる。