田原の花火と、演劇巡業(桂九雀師匠より)と、【小児の得意満面なしぐさをその目の輝きの中に映し出し、小児の自己愛的、自己顕示的歓びを分かち合う母親の存在における再生であるといえる。】
今日は、田原の花火の日です、ローカルすぎてって、言ったら、シフトを外してくれました(笑)。
地元の方々は良いかもしれませんが、よそ者、それも大きな花火大会を知っている身には、辛いですね(笑)。
利恵さんが、若い方々が踊っている所から帰ってこない(職員がついていますがw)と、メールが送られて来ました(笑)。
リズムが大好きですものね!
花火の写真は、これからが花火の始まりなので、その内親分が送ってくれると思いますので、明日アップさせて頂きます。
ひーひー王子は、今日も弱っている感じがしました。
花火の音が原因ならいいですが.......。
色んな差別反対!と声高々に言われていますが、喘息もちには、花火の煙も、それを見物している方の煙草の煙も、辛いですね.....。
コンビニや温泉の前に喫煙所があるので、喫煙されている時には、息を止めてその前を通っています。
休みだったので、ゆっくり温泉でも行って、とも思いましたが、何時に帰って来たら、楽に帰れるのか?と思うと、しんどくなり、読書とギターで一日過ごしました(笑)。ストレッチも思う存分しました。
夕食をファミマで頂きながら、本を読んで帰宅したら、めちゃくちゃ久し振りに、九雀師匠からメルマガが来ていました。
舞台を見に行かせて頂きたいのですが、曜日も場所も、ちょっと無理ですね......。
せめて愛知県・静岡県内での舞台をお願い致します。
岡君(む雀師匠)も、元気にしているでしょうか?一緒に演奏をしたいと思いながら、中々実現できないままでいます。
演劇巡業
地震、大雨、台風と、色々なことが起こる年です。
何の役にも立たない芸人は、良い舞台をお見せするしかありません。
久しぶりのメルマガです。
ズボラもありますし、忙しさもあるのですが、「書けなかった」というのが本音です。
前回の記事から後、たくさんの仲間が、逝ってしまいました。
笑福亭仁勇兄さん、桂福車くん、露の慎悟兄さん。
みんなサシで呑んだことのある人ばかりです。
思い出を書き出すとキリがなくて、書いてるうちに、目が潤んで、支離滅裂になること必至でしたので、書きませんでした。
まして、福車くんと慎悟兄さんは、同じ2月のお葬式で、すっかりへこたれていました。
そして、2月27日には、岡野礼音(あやね)さんが逝きました。
弟子・岡野鏡(きょう)の母上です。
そして、友人・内藤裕敬率いる「南河内万歳一座」の制作さんです。
ホレホレ・・・ここまで書いて、すでに涙が滲んでます。書くのん止め!
礼音さんのことを、先日の落語会のパンフレットに書きましたので、それを転記させて頂きます。
※※※※※
2018年9月5日(水)「九雀の噺・なんとなく一門会」(繁昌亭夜席)パンフレット文から引用
「礼音さんのこと」
「桂九雀で田中啓文こともあろうに内藤裕敬」これは、演劇作品のタイトルです。(本日もチラシを挟み込んでおります。)
6年前に、私がこの芝居を企画するに至った経緯は、田中啓文著「鍋奉行犯科帳」シリーズ(集英社文庫)の「京へ上った鍋奉行」巻末に、私が書きましたので、是非ともそれをお読み頂きたい。
作品の中身はというと、やはり田中啓文さんが書いた「笑粋亭梅寿謎解噺(しょうすいていばいじゅなぞときばなし)」シリーズを[元にした]演劇です。
この[元にした]が、大事なところで、小説をそのまま芝居にするのは、芸が無さ過ぎ。本を買って読んだほうが良いに決まってます。
全く別の物を観ているつもりなのに、いつの間にか小説の中身にリンクしている。
この「付かず離れず」が大事で、この芸当ができる劇作家・演出家は、内藤裕敬(南河内万歳一座・座長)をおいて他にいない、というわけで、忙しい内藤くん(あえて普段通りの敬称で)を、居酒屋やえがきの濁り酒で口説き落とし、実現するに至ったわけです。
原作は「落語家がミステリーの謎解きをする」と言う構成で、しかも、数ある話のうち「たちきり線香の章」を扱いましたので、音はナマでやりました。
家内・高橋まきが「唄と三味線」、「鳴物・笛」を中学1年の長男が勤めました。不登校中でしたが、我が家的には、とても役立つ男でした。
内藤くんが作・演出となると、当然のように、彼の劇団「南河内万歳一座」のスタッフにもお世話になってしまいます。
中の一人が、岡野礼音さんと言う女性です。礼音と書いて「あやね」と読みます。
その頃、四十歳になったばかりでしたが、子リスのように可愛い、それでいて、イルカのように利発な人でした。
その後、倉敷と小倉でやった、この作品の再演では、制作のトップとして、テキパキさんぶりを発揮してくれました。
その小倉公演の直後に、礼音さんの娘=岡野鏡が、我が夫婦の元へ入門してきたのでした。
内藤くんや、礼音さんを通じた、コネ利用ではなく、真っ当に来ました。
聞けば、縁深き劇団につながる娘です。育てないわけにはいかんでしょう。
そんなわけで、今日、お囃子を勤めております。
礼音さんは、今年2月27日(火)夕方、我々とは別次元の世界へ旅立ちました。
娘の芸歴三年に安心したかのように、四十六歳で。
もともと母子家庭で育った娘です。我々夫婦が親になってしまいました。礼音さんから、任されました。引き受けましょう。
この度、この長ったらしいタイトルのお芝居で、全国七ヶ所を回ります。
そして、岡野鏡がお囃子を勤めます。お囃子にとっての最難関である「たちきり線香」のハメモノ「雪(地唄)」を、演劇の中で、しかもお客様が観ておられる前で、やらなあきません。
その前触れ公演が、今日の落語会です。
礼音さんもご招待しています。ポコッと空いてたら、そこが礼音さんの席です。
娘の唄をしかと聞いてくれるでしょう。ツアーも一緒に行きましょう。
お囃子の人材不足を憂慮していた私達のところへ来た岡野鏡は、神様から授かった娘だと、ずっと思っていました。
そして、授けてくれた神様とは、実は・・・礼音さんでした。
ありがとう。
(引用終わり)
※※※※※
そんなわけで、南河内万歳一座の稽古場で、内藤くんの演出で、岡野鏡が三味線を弾いて、礼音さんに見守られながら、連日、稽古をしております。
良かったら、礼音さんに会いに、劇場へお越し下さい。
「桂九雀で田中啓文こともあろうに内藤裕敬」笑粋亭梅寿謎解噺・立ち切れ線香の章
公演予定
<2018年>
9月22日(土)14時 すばるホール(大阪府富田林市)
9月30日(日)14時 能代市文化会館(秋田県能代市)
10月13日(土)14時 サントミューゼ(長野県上田市)
10月21日(日)14時 高知文化プラザかるぽーと(高知県高知市)
<2019年>
2月10日(日)13時30分 豊岡市民プラザ(兵庫県豊岡市)
2月16日(土)14時 茅ヶ崎市民文化会館(神奈川県茅ヶ崎市)
2月24日(日)14時 浄るりシアター(大阪府能勢町)
原作 田中啓文
作・演出 内藤裕敬
出演 桂九雀、坂上洋光、ことえ
お囃子 岡野鏡
◎このメルマガに返信すると発行者さんにメッセージを届けられます
※発行者さんに届く内容は、メッセージ、メールアドレスです
◎九雀通信
のバックナンバーはこちら
⇒ https://archives.mag2.com/0001341814/index.html?l=ohk05efb82
下記のように、利用者さんの本来持っている力を、自分達が利用者さんに移し換えれるようにするのも、大事な作業だと思っています。
『小児の得意満面なしぐさをその目の輝きの中に映し出し、小児の自己愛的、自己顕示的歓びを分かち合う母親の存在における再生であるといえる。』
〜この太古的archaicで未発達な自己-対象に由来する理想化転移において、患者の自己愛的均衡(自己評価)は、過去において(死別、拒絶などによって)外傷的に喪失した自己対象の現在における再生(分析医)が与える関心や受け入れによってやっと庇護されている。また理想化された自己-対象(分析医)への希求と依存の激しさは、(変容性内在化の障害により生じた)心的内界構造の欠損部分(緊張緩和機能、自己評価調節機能など)を埋め合わせんとする必死のもがきを反映する。 自己対象転移の第2は鏡転移であり、治療場面における誇大自己の活性化としてとらえられる。すなわち、小児が「融和した自己期」において母親を別個の存在として認識し、その母親による受け入れを希求したように、別個な存在とされながらもその存在価値が患者の誇大自己の必要性に呼応している時のみ認められる分析医は、小児の得意満面なしぐさをその目の輝きの中に映し出し、小児の自己愛的、自己顕示的歓びを分かち合う母親の存在における再生であるといえる(p.105-132)。〜