昨日は夜勤でした。いつものようにライブ会場になったり、
お化け屋敷になったり(笑)、
寄席になったり(笑)、ほっとしたり、ボール遊びをしたり、みなさん自然に展開していきます。やっぱり遊びの中に無意識が現れて、本当の自分が出るように思います。支援者も自分が出て困る時もありますが(笑)。支援も精神分析も一方通行ではなく、間主観的な世界で動いて行くものだと思われますので、その視点から見れば間違ってはいない気もします。
本は、東畑先生のせいで(笑)、下記に入りましたが、最初から凄くて圧倒されていますが、本当に大事なことを丁寧に示してくれている気がしました。当たり前のことを当たり前にできるのがプロですしね。下記はおそらく自分の中で一番大事な物になりそうな気がします。
生きる心理療法と教育
皆藤 章著
序説
2臨床と教育
「臨床」とは文字通り「床に臨む」の意である。それがその「床」とは、「死の床」である。つまり「臨床」とは、死の床にある人の傍らに座り、死にゆく人のお世話をすることを意味することばである。
ここで筆者は、「死にゆく」ということを、現実とは異なる世界へと向かうこと、と捉えている。たとえば、身体に支障がなくても、生きている実感がないと語る人は多くいる。そうした人たちは、生きている実感を持っている人たちとは異なる世界に生きている。この世界を「異界」と呼ぶならば、異界と現実の両方に生きているのである。
そうした人たちが心理療法の場に訪れたとき、異界を生きながら現実を生きるという仕事が始まる。そして、心理療法のプロセスを経て、異界からの変容が体験されることになる。
このようにみると、「臨床」とは、人間がある世界から別の世界へと向かおうとする変容のプロセスに、現実とのかかわりを配慮しながらかかわる作業であるということができる。~