9月のアトリエ・カーグ用に、多肉植物を沢山頂いた水色の入れ物などに移植しました!もとは、これまた(笑)アトリエ・カーグの画題に親分が1つ100円の弱々しい(笑)1つだけポットに入った5種類のものを買ってきた物を、初めは植木鉢に移植してみたら、どんどん増えたので、ミモザと大家さんから頂いた、シデコブシも枯れてしまったので、その後に置いたら、どんどん増えていきました。一回またまたアトリエ・カーグで描くとのことで小さめの植木鉢などに寄せ植えしたら、気に入った職員さんが持って帰られたので、なくなりましたが、直ぐにまた増え続けて.......。水色の陶器を沢山貰いましたが、皆さん興味が無さそうでした。せっかく頂いたので、どうしたら持って帰ってくれるのか?と考えていた時に、カーマに他の買い物していたら、くたびれかけの(笑)ポット苗が安売りしていて、それを植えたら持って帰ってくれるのでは?と思いその足で直ぐに(夜勤明けでしたがw)現場に向かって6個入れて飾っておいたら、見事になくなりました(笑)。本当はそれだけでは目が行かなくても、何かを加えることで、人様に見て頂ける、振り返って頂けると言うのを、偉そうにも(笑)、職員さんに感じて頂きたかったからさせて頂きました。
9月までにはしっかりとしているでしょう!と、楽観視しています(笑)。
何を探していたのか?すっかり忘れてしまいましたが(笑)、下記がネットで出ていました。今度東京に行く時に、是非とも利用したいな!と思ってしまいました。高いのかな?
下記は、現場でもそういう時があります。不安を取り除いて欲しいだけなのに、それが上手く伝えられなくて、全く違う行動をされてしまったり、反動形成的な行動になってしまったり......。そんな時には、一番下の赤字の箇所が一つの答えを示してくれています。
コンテインする対象が存在しないという悲劇
~クラインか気づいたことであるが、子どもが良い対象に頼るのは単に栄養や理解を得るためだけでなく、第一に不快な感情を取り除いてもらうためであることが多い。
子どもは悪いものを対象の中に排出し、対象に破壊感情、罪悪感、妄想的感情を取り除いてもらおうとする。
このことを次のようにクラインは明晰に表現している。
同様に乳児が尽きることなく、常に存在する乳房を求めるのは、決して単なる食物への欠乏やリビドー的欲動からだけではない最も早期の段階であっても母親の愛情わ得ようと駆り立てるものは、根本的には不安である。生と死の欲動の間の葛藤と、結果として破壊的衝動により自己と対象が無となる恐怖が、乳児の母親との関係を構成する根本的な要素である。というのも乳児の望みは乳房により、そしてすぐ後には母親によって、この破壊衝動と迫害的不安のもたらす苦痛を取り除いてほしい、というものであるからである。(1957,pp.179-180)
絶望した患者がこのように苦痛の解消を求めるのは理解できるが、対象は現実との接点を保ち続け、患者をありのままに、良い面も破壊性も両方とも理解し受け止めることが必要となる。~