うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

アトリエ・カーグ展(神戸館)と、【ところが、やがて精神分析は米英両国で、特定の設定によって乳幼児と母子関係を直接的に観察する乳幼児観察infant observationの方法をつくり出した。】

 明日から神戸館さんで、アトリエ・カーグ展が始まります。今朝、親分が一人で搬入したので、浜松医科大から戻ってきた足で、神戸館さんに、お邪魔させて頂きました。
 店主の長澤さんが、入店するなり、カーグの作家たちの才能を絶賛されていました。説明してほしいと言われましたが、言葉では説明できませんね......。描いている写真を携帯で見て頂いて、彼らが作為をもってやっていないことは理解して頂けましたし、自分たちは、彼らの作品には手を入れない事も、はっきり言わせて頂きました。
 現物は本当に迫力がありますので、是非、神戸館さんまで、お足をお運び頂き、ご高覧頂ければと願っています!







 今日は、休みでしたが利用者さんの受診の同行で、7時発だったので、6時に現場に入る前に(笑)5時過ぎに現場横のファミマで朝食を頂きながら、本を読みました。現在読んでいる箇所は、愛着とは違う形の表象のあり方?というような箇所を読んでいて、こちらを読み直していると、基本に戻る事が出来て、より理解が深まりました。
 したことではなく、そのやり方、あり方が本当に心に残って行くということは、いつも頭に入れて置かないといけないな、とも思えましたし、ウィニコットの言う、生き残ることの大事さも、痛切に感じるこの頃なので、この本を読ませて頂けて本当に良かったと思いました。
 求めよ!されば与えられん!でしょうか?








臨床乳児と被観察乳児

 〜たとえばBion,W.はこのFreud,S.の母子関係モデルに立脚して、精神分裂病ないし彼のいう精神病パーソナリティPsychotic personalityの治療経験から、心的機能の成り立ちの過程における母親の機能ーーたとえばcontainの機能を明らかにしたが、この方法は、私がgenerative(生成分析的)と呼ぶように、壊れた心的機能の治療をしながら、健康な心的機能の成り立ちと、それを育てる母親の機能を臨床的−論理的に再構成する手法によって成り立っている。そこでは、乳幼児と母子モデルはあくまで臨床乳児でありひとつの比喩の役割を果たしている。 Klein,M.の場合、児童分析によって、さらにより早期の無意識的幻想の機能に関する理論構成を行ったが、やはりこの手法の場合にも、治療的観察からの再構成が主役である。 この動向の中で、Winnicott,D.は特異な地位を占める。彼の、初めから母子を1つの単位として見る視点からの乳幼児の発達と、母親の機能に関するユニークな観察と理論構成は、小児科医として常に母子同席の診療場面で得られたもので、臨床観察と直接観察が同時的に、つまり、臨床乳児と被観察乳児がひとつという固有の認識方法に準拠している。
 ところが、やがて精神分析は米英両国で、特定の設定によって乳幼児と母子関係を直接的に観察する乳幼児観察infant observationの方法をつくり出した。その代表的な流れの第1は、Spitz,R.の実験室的設定による方法である。取り分け、デンバーコロラド大学では、Spitz,R.により動物行動学的視点と発達心理学的方法を駆使することによって、「もっと客観的に……」乳幼児と母子関係を、ときには実験室的に、そしてフィルムや、やがてビデオに記録するテクノロジーを縦横に駆使する、実験室的設定laboratory settingによるアプローチを確立した。そしてEmde,R.は、このSpitz,R.の研究室の継承者である。〜