第3木曜日は、通院が重なると大変なことになってしまうので(笑)、今日は通院はキャンセルさせて頂き、早朝に名古屋に行って来ました。
移動中に会計事務所から電話があったりで、気持ちにも余裕がなくなりかけましたが(笑)、なんとか堪えて次の所に!
ジャパンデザインネットさんからのメルマガに下記のコラムがありました。
何事においても、神様や魔法なんてありません。あるのは的を得た努力を継続させることです!でも、中々続きません(笑)が、諦めずに一つの事を思い続けていれば、ちょっとした瞬間に、あっ!と思えることや物に出会える時があります。それも、諦めずにそのことを思い続けているからこそ出来る事ですね!
電車の中で東開先生の2冊目(自分にとっての)の『美と深層心理学』を読ませて頂きました。後3章です。三島由紀夫のことが書いてあり、興味本位と義務感で中学生の時に読んだ本の名前が並んでいました。今読めばまた違う見方が出来るのでしょうか?内容は後に譲らせて頂き、下記を読ませて頂いていて、「こころの退避所」と言うのは個々に違うのだから、自分たちが支援を考えるに当たり、『これら3つの状態は平衡状態にあると考えるのが有用であると思われる。抑うつからパラノイアへの進行、さらに妄想体系への進行が認められるとしても、これらの平衡状態の中でなお行ったり来たりの往復運動が常に生じているのである。』は、常に頭の中に入れて置かなければならないような気が来ました。勿論、文言そのまま意味するところではなくて、複数の状態が平衡状態で、その中で色々なポジションが行ったり来たりしているという考え方のことです。そして、どのような時にどのような防衛がされるのか?をも常に見ておきたいなとも思いました。あくまでも支援レベルでのはなしですが。
「こころの退避」としての妄想体系
私はこれまでシュレーバーの病態において、3つの要素を区別できると論じてきた。 第1は抑うつと絶望である。これは発病の初期を支配しているだけでなく、その後も持続し、精神病症状を深刻に色づけている。
第2にパラノイアがある。これは責任と罪悪感の投影によってはじまり、著しい進行性の解体の様相を見せた。このとき防衛的な分裂により迫害者とともにシュレーバーの自己もまた断片化し、混沌とした死力を尽くした生存のための闘争となった。
そして最後に第3つの要素として、比較的組織化された妄想状態があげられる。ここに至り、救済をもたらす女性性との同一化、および父親に対する性愛化された服従によって迫害体験を受け入れることができるようになった。
これら3つの状態は平衡状態にあると考えるのが有用であると思われる。抑うつからパラノイアへの進行、さらに妄想体系への進行が認められるとしても、これらの平衡状態の中でなお行ったり来たりの往復運動が常に生じているのである。
私はシュレーバーの妄想体系を〈精神病的な組織化を基礎としたこころの退避〉と考えてきた(Steiner,J.1993)。シュレーバーは、抑うつとパラノイアの両方が耐え難くなったときに、この精神病的組織に頼るようになったのである。~