うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、【一つの対象知覚を実現するためには、ここで示唆したアンビバレンス、つまり欲動の混乱をどうしても避けて通れないことをつけ加えることができるかもしれない。】



 今日の日中は、賑やかだったので、外食に行きました!
移動支援の方も、2人おられましたが、それでも総勢11名でした。




 みなさん、食べたいものが違うので、支援者はちょっとだけ大変でした(笑)
無事戻り、豊橋と渥美方面の送迎に向かいました。
 今日は何だか、どこの道も混んでいて、お迎えが少し遅れてしまった方もおられ、申し訳ありませんでした。



 りえちゃんは、靴下と洋服を何度も指さされて、かわいいと言って喜んでいました。
女性職員さん達がくれたり、安くて良い物を探してきたりしたものなので、双方とも嬉しそうでした。

 今日も何事もなく、過ごせたこと、皆様に感謝です!
明日は、アトリエ・カーグと、バンドの日なので、明日も早起きです(笑)。




 今日は、早番の仕事が一段落したときに、20分休みを頂き、本を読ませて頂きました。
バリントを終われせたのはいいのですが、貯金がなくなっていることに気づき、慌てて(笑)貯金を作らないといけないです(笑)。


 下記は、自閉症の方の行動のように感じました。自分が自閉症から入って行ったのは、やはり、形だけでなく、考え方も構造化しやすかったからだったのかな?と、ふと思いました。
 
 『乳児がそれについて現実の承認を作動する心的内容について考えてみよう。人は注意によって、絶え間なく、あるいは一定の周期で間をあけながら、環境を「探索」「検討」し、環境の小さなサンプルを「検査」するとフロイトは言う。』   


 下記は、現場で支援をさせて頂いたり、その方に合った、支援方法を考えている時に、いつも思う事を、思い出させてくれました。
結局、しつこく書いているように、きちんとした支援(その方の生きづらさが、継続的に軽減できること)が出来る方は、きちんとけじめをつけることができる方だということです。腫れ物に触るような扱いは、その刹那だけしか効果がありません。でも、それを大々的に効果があったとか、自分はこんなに凄いことが出来る!とか(笑)、短時間しか効果がないのに、それだけの能力しかないのに、そこまで自分を宣伝できるのは、可哀想(めっちゃえらそうw)だと思ってしまいます。
 ユングが言うように、今逃げても、近い将来、それがまた現れるので、今、ここで、きちんと処理をしておかないと、結局、同じことの繰り返しになるだけですね......。福祉の現場だけの話ではなく、ギターでも、アート作品を作るにおいてでも、同じことですね。
 自分に対して、徹底操作できないのなら、利用者さんにもそれが出来る筈がありません。
『一つの対象知覚を実現するためには、ここで示唆したアンビバレンス、つまり欲動の混乱をどうしても避けて通れないことをつけ加えることができるかもしれない。』



〜より大きい不快からの逃亡と償いを考慮すると、同じようにあらゆる心的なものの基本傾向として、快追求が普遍的妥当性を持つことを放棄しなくても、不快が肯定される可能性をおおむね理解できるようになる。ただし同時に、心的メカニズムに新たな装置を付加するよう要請することになり、またもやその設置がおそらく解決がいっそのこと難しい新たな謎を私たちに突きつける。
 心的数学の問題には後に戻りたいが、それよりまず、乳児がそれについて現実の承認を作動する心的内容について考えてみよう。人は注意によって、絶え間なく、あるいは一定の周期で間をあけながら、環境を「探索」「検討」し、環境の小さなサンプルを「検査」するとフロイトは言う。そのとき明らかに彼は注意母親の乳房がないことに気づき探し求めている乳児の行動様式を、後のあらゆる思考作用にモデルと考えている。同様に考えを進めることで、私の生物分析的試みのなかでは思考行為とは、おそらく環境の嗅ぎ分けや、嗅ぎまわりの方がもっと高い類似性が見られるという仮定に私は導かれた。それにはもっとかすかな少量の試料でよいからである。その検査結果がよかったときの、口唇による吸収が行われる。まだなんでも見境なく口に入れる子どもと、匂いの良いものの方だけを向く子どもの間の知的差異はだから極めて重大である。


〜思うにこの例は、フロイトの論文『否定』のか最も重要な一文に具体例を提供するものである。「現実吟味の最初のそして直近の目的は、創造的されたものに対応する対象を現実知覚の中に見出だすことではなく、それを再発見し、それがまだ現存することを確信することである」。また「人は、現実吟味の動員のための条件として、かつて現実の満足をもたらしてくれた対象が失なわれてしまったことを認識している」。一つの対象知覚を実現するためには、ここで示唆したアンビバレンス、つまり欲動の混乱をどうしても避けて通れないことをつけ加えることができるかもしれない。

アンビバレンスの発生は、それゆえある種の安全装置であり、つまり抵抗が全般に活動できるようにすることである。その心的随伴現象である対象世界の認識が、やはり対象世界の克服のための一方法を意味するのと同じである。