うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

うたたねフォークデュオと、【しかし、対象のまなざしに映る自己の肯定的なイメージにより、否定的な側面を分裂し排除することができる、ということを認識することこそが重要である、と私は考える。】

f:id:ka-gu:20190710063612j:plain

 先日のうたたねの様子です。重度のショートさんが居られましたが、早く仕事が終わったので、皆さんと音楽会をやらせて頂きました。音楽はみなさんの心をほぐしてくれますね!同級生の桂む雀師匠が、中学生の時に、芸は身を助けるのでギターは止めたらあかんで!と自分の将来を見透かされたみたいで(笑)、今では本当に音楽には助けられているので、そんな時期からしっかり生来を見ていた彼には感謝しています。早く一緒に音楽ができればいいですね!

 

 下記は、現場でもいくら忙しくても、繁忙期のレストラン余裕のない店員さんのうような顔・雰囲気を出さないようにしなさい!と言われているような気にもなりました。少し前のコマーシャルのコピーの『余裕のある人きれいだな!』みたいな感じでいつもいられたら素敵ですね!

 

第2章 シュレーバー症例における視線、支配、屈辱
序論

 ~しかし、対象のまなざしに映る自己の肯定的なイメージにより、否定的な側面を分裂し排除することができる、ということを認識することこそが重要である、と私は考える。これは乳房や、またとくに母親の顔によって描写される良い対象が、悪い感情を取り除くことになる、というクラインの考えにも示されている(Klein,M.1957)。

 

 

 ~〈こころの退避〉から出て抑うつ的な不安と向き合うことは、成長のプロセスに本質的な段階である。しかしそのような抑うつ体験に耐えられるようになる前に、まずこのような〈出ていく〉という行為そのものをやりとげなければならない。〈見られる〉という体験がきまりの悪さを生じ、これをすみやかに解消することが求められるのは、まさにこの時点である。究極的には罪悪感と喪失に向き合うことにより深刻で持続的な苦痛が生まれるのであるが、その前に〈見られる〉体験によってきまりの悪さが生じ、このきまりの悪さから憤慨に根差した〈こころの退避〉に逆戻りする動きが生まれる、という段階をワークスルーしなければならない(Riesenberg-Malcolm,R.1999も参照)。~