昨日は夜勤明けでしたが、寝ずに(笑)用事を済ませて夕方は、スズキヤ食堂さんで久し振りに、お酒を頂きながら美味しい料理を堪能させて頂きました。混んでいたので、本も読ませて頂き、アルコールが入った方が(笑)、本に集中出来る事が判明(笑)。
下記は、夜勤時の休憩時に、ネットで調べものをしていた時に、出て来た物です。東畑先生の対談でした。
下記はまだシュタイナーで、同じようなことの繰り返しかも知れませんが、本書で一番言いたい事かも知れませんね。
~〈こころの退避〉から出て抑うつ的な不安と向き合うことは、成長のプロセスに本質的な段階である。しかしそのような抑うつ体験に耐えられるようになる前に、まずこのような〈出ていく〉という行為そのものをやりとげなければならない。
〈見られる〉という体験がきまりの悪さを生じ、これをすみやかに解消することが求められるのは、まさにこの時点である。
究極的には罪悪感と喪失に向き合うことにより深刻で持続的な苦痛が生まれるのであるが、その前に〈見られる〉体験によってきまりの悪さが生じ、このきまりの悪さから憤慨に根差した〈こころの退避〉に逆戻りする動きが生まれる、という段階をワークスルーしなければならない(Riesenberg-Malcolm,R.1999も参照)。~