1年の半分が終わってしまいました......。
新しい利用者さん達が、色々と変化をもたらしてくれるので、毎日みなさんわくわくどきどきです!
昨日は、みなさんとの約束通り、お寿司を食べに行きました!みなさんお寿司が大好きですね!いのうえっちは11枚......。
下記は、妄想-分裂ポジションから抑うつポジションに移行しなければ(ワークスルーしながら)、こころの退避所から出る事ができないことを、分かり易く記述してくれています。何かを為そうと思えば、苦痛を伴います。自分は作品を作る時も、新しい曲をギターで弾くときも、めちゃくちゃ不安になり、本当にできるのか?と、怖気づきそうに毎回なり、それには苦痛を伴います。でも、それを完成したいので、無器用ですが、時間がかかりますが、なんとかワークスルーして、それなりに出来るようになります。支援者にそういう風な、逃げないでなにかをやり遂げたという感覚・記憶がなければ、きちんとした支援ができないのかも知れないですね。
~〈こころの退避〉から外に出て、エディプス・コンプレックスの抑うつ的なありかたをワークスルーするために、患者はエディプス・コンプレックスの妄想的なありかたに伴う侮蔑される感覚に耐え、それを生き抜くため、分析から十分なサポートを得る必要がある。「妄想的な構造を押しつけているのは分析家だ」と感じているときには、この問題を切り抜けるのは困難である。しかし抑うつポジションに直面することができるようになるのは、「万能的な自己肥大に気づく援助のなかに、軽視や侮辱が含まれている」という感覚について、患者が「耐えるに値する」と思えるときのみである。それが可能となるのは、患者が「軽視された」と感じる対象に復讐に満ちた攻撃を仕掛け、しかもその影響をワークスルーすることができ、そしてそれに続く後悔や罪悪感にも直面することができるようになるときなのである。
エディプス・コンプレックスに対する妄想的解消法と抑うつ的解消法は、直面する葛藤を切り抜けようとするとき、個人が向き合わなければならない根本的な選択を表している、と私には思われる。もちろん患者はほとんど自分に選択の余地があるとは思わない。それは無意識の圧力が、自分を一方か他方かのどちらかに駆り立てようとするからである。~