うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

年末チャリティーの準備と、今日の日中と、【もし恥と屈辱体験が過剰に作用すれば、適切に罪悪感を消化していくことはできないことに気づくであろう。】

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 年末チャリティーの準備を仰せ使ったので(笑)、少しずつ安価で良い物を集め出しています。取り敢えず2つは準備できました。安価ですがなんとなく高級そうに見えませんか?

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 今日は、自分はあまり出る幕がなく、送迎位でしたので、その足で池ノ原にお薄を頂きに行って来ました!まっつんのお茶碗はガラスで涼しそうでした!かおちゃんのは、彫三島で、淡い朱色が可愛かったです!みなさんここに来るとやっぱり落ち着かれます。駐車場に車を止めて、お茶室まで1分もかかりませんが、それだけでも汗が拭き出してきました。お盆が過ぎても、まだまだ暑い日が続くとの事.......。すろーじゃむのイチゴが壊滅してしまいました......。時々水やりに行きましたが、全く効果なしでした。

 

 

 

 今朝、ファミマで(笑)、皆藤先生の本を読み終えたので、復習に入りました。皆藤先生の方が、皆さんに分かり易いかもしれませんが、ここまできたら、もう少しだけシュタイナーをやらせてくださいね!

 

 まだ、エディプスの続きですが、古典的ではない見方が出ています。クラインの抑うつポジションや償いの過程と、皆藤先生の言葉を借りれば、抱える器が周囲になかった場合のことが書かれています。恥と屈辱の体験を心的外傷にならないようにしていくのが自分たちの仕事だとは思いますが、あまりにも合わせすぎるのも、ビビり過ぎるのも良くない事は皆さんが一番知っておられることだと思われます。やはりどこかでは、毅然とした態度が出せるように、その時期・タイミングを見れるのは、いつも真摯にその方に向き合っていないと無理だと思われます。それはどちらか一方的な作業ではなく、皆藤先生の言われるように、共同作業でないと出来ないことだとも思います。ニードだけでもなく、デマンドだけでなく、言葉のある世界だけでなく、言葉のない世界だけでなく、それを橋渡しするものの存在は、共同作業によってしか作ることが出来ないものだと思われるからです。

 

 

  本章で私は、フロイトが記述したエディプス・コンプレックスの古典的な解消法は〈妄想的な解消法paranoid solution〉であり、鬱憤resentmentと復讐願望に支配された「こころの退避」を生んでしまう、ということを論ずる。

 私はついで、これと並んで〈抑うつ的な結末depressive outcome〉というものが存在するということを示したい。この形ではこどもは当初空想の中で支配者である。初めはこの空想により、こどもは父親に対し勝利感を持ち、これは空想上の母親の祝福を伴っている。しかし、こどもが空想の中で両方の親を破壊したことに気づくようになると、勝利感は絶望と罪悪感に変化する。

 もしこどもが発達においてーーそして患者が分析においてーーこの罪悪感に耐えることができるだけのサポートが得られれば、このサポートを利用して、悼み悲しむことと、償い修復することに向けて動き始めることができる。
 この章においては恥と屈辱の役割については詳述していないが、この本書の中心テーマとの関連性は明白である。

 もし恥と屈辱体験が過剰に作用すれば、適切に罪悪感を消化していくことはできないことに気づくであろう。権力と支配をめぐる葛藤は勝者と敗者を生む。古典的なエディプス葛藤の解消のあり方では、結果としてこどもには敗北と屈辱が与えられることになる。