今日の日中と、明日の準備と、自殺した人の脳に共通する特徴とはと、【何よりもまず最初に、その瞬間に生きている対象関係の視点から、患者の言うことに耳を傾けるならば、彼の葛藤の性質や彼が心的バランスを保持する方法をよりよく捉えることができると私は考える。】
昨日の日中は、また沢山歩くことが出来ました!沢山運動した後は、お腹が空きますね!としちゃんたちと、かつさとさんに行きました!
アップが上手く出来ていなかったので(笑)、早朝に昨日の分をアップしています。
帰宅してから、アトリエ・カーグやバンドクラブの準備をしました。
親分が、ネットで安い台車を買いましたが、ネジの具合が悪くて、組み立てるのが大変でした......。高級品とは言いませんが、安ければいいというものではなくて、きちんとした仕事をされている物には、敬意を払って、それなりの対価を支払うべきだ!と、もと職人の自分は思います。安くて良い物を求めるのには無理があり、皆さん、ご自分の収入が低いと文句言うのに(笑)、やすい物ばかりに目が行ってしまう(笑)。それが日本の技術をなくしていく元凶だとは思わないのでしょうか?安かれ・良かれでは、産業が衰退していくし、その産業には優秀な人材がいなくなってしまいます.....。福祉の現場も然りです。
明日の、アトリエ・カーグでは、植物を描くようです!
帰宅して、ネットのニュースを見たら、下記がありました。
中々興味深く読ませて頂きました。
現場でも、自分はこんなに凄い!とか、こんな美味しもの食べた!とか、あそこに行って来た!良いだろ!とか、執拗に言われて来られる方がいますが、それは下記が記述してくれているように、『彼は、私の手助けとなる解釈をのっとることにより、自分を人から羨望される位置に置いたが、これは彼が強力にナルシシズムを働かせているのが一つの例である。』のかも知れませんね。支援者は相手を自分に過度に同一化させないような支援をするべきだとも、思っています。
~何よりもまず最初に、その瞬間に生きている対象関係の視点から、患者の言うことに耳を傾けるならば、彼の葛藤の性質や彼が心的バランスを保持する方法をよりよく捉えることができると私は考える。この症例における一見エディプス的な素材は、私の感じるところでは、生きた素材ではなくむしろサド-マゾ的怒りのレベルに私を誘い込もうとする無意識の試みこそが実際生じていることである。彼は、私の手助けとなる解釈をのっとることにより、自分を人から羨望される位置に置いたが、これは彼が強力にナルシシズムを働かせているのが一つの例である。これは投影性同一視および取り入れ同一化に基づく原始的な対象関係であり、私が接し方において述べた動きの中に、それが機能しているのを見ることができる。~