ほぼ毎日、やっていますが(笑)、これから進展しません......。胸を床につけるのが(笑)今年の目標ですが、もうすぐ6月になります!
読書とギターのこの三つは意地でも(笑)やり続けていますが、ギターも一定のレベルから出られていません......。これ以上は無理と言う事か?でも、止めません(笑)。
今日は休みでしたが、建築の関係で、設計士さんが来訪してくれたので、現場に行きました。良い話になりそうなので、その話が通れば良いですね!愛知県から耐震構造の件での提出物も見て頂き、設計士さんは建築基準法と耐震構造の計算式が違い、建築基準法での強度が1.5以上ないと、耐震構造で1以上にならないので、気をつけていつも設計されているとのことでした。うたたねはその上、界壁が沢山あるので強度は3倍くらい上がっているので、全く心配ないと言われていました。中根の親父さんも、地下の岩盤に当たるように何本か杭を打ったと、ことあるごとに話されていたので、本当に大丈夫だと思われます。建築基準法が大きく変わった年以降に施工された建物なので、心配ないと、設計士さんが繰り返し言われていました。そういえば、最初の改修時の図面に耐震構造の物がありました。
入浴介助と掃除をついでにして(他の男性職員さんがほぼやってくれましたが)から帰宅してメールチェックしていたら、ジャパン・デザインネットさんからの中に下記がありました。下記の青字の箇所が一番響きました。古い人間なのかもしれませんが(笑)、書く描くというのは、自分が能動的に行う行為なので、神経をきちんと伝わって、脳に行くのではないでしょうか?
デジタルの機器に求めるものと、手書きに求めるもの、それはどちらが優れているということではないと思うんです。スマートフォンは、とりあえず記録したり、メモとしての使い方には向いていて、とても便利だと思うんですが、一度記録したものを「手書き」を通して見直して考え直したり、自分の中のクリエイティビティを引き出す行為としての「手書き」というのは、すごく意味があると思うんです。
下記を読んでいて、意味合いが違うのかも知れませんが、強くて大きなものが、いつも勝つとは限らないという言葉を思い出しました。また、誰の本だか忘れてしまいましたが、間違った解釈をしていても、その中に誠意があれば、その治療は上手くいくと言う言葉も思い出しました。支援も百人十色なので、失敗する時もありますが、せめて誠意と敬意だけは、忘れずにおこうと思いました。
~不安が現れ防衛が動員され分析家の人物像が変動しそれに応じて内的世界が変動するにつれて、日常生活において患者の中で常に起こる変化を1つのセッション内の変化が反映していることを強調したい。解釈は、当然のことながらこの変化を促す上で主要な部分を演じている。それは、一部は解釈が理解と洞察を与えるからであるが、それだけではない。解釈はしばしば私たちが意図した仕方や考えていた仕方とは違った仕方で変化を促す。私たちが言うことが、不安を引き起こすかもしれないし不安をなだめるかもしれない。私たちの語りかけが、私たちは理解しているあるいは彼のことを気遣っていると患者を安心させるかもしれない。解釈は、正しいけれども競争心を引き起こすかもしれないし、誤ってその誤った理由で患者を安心させるかもしれない。私たちの言葉は、私たちに対してもっている意味を捨て患者が自分自身を静めることができる調べのようなものに、あるいは患者が身を沈めることのできる薄暗い沼地のようなものになるかもしれない。これら総ては、私たちが患者を理解しようと努めているセッションの中で起こっている動きの一部となる。~