うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

桜餡パンと、【しかし、もし分析者が患者の差し出すものを受け取り、それに応答すれば、直ちに一種の治療的突破が起こり、治療が画期的に進展する。】


 今日は、まりちゃんは、ヘルパ^ーさんと、サンテパルクでパンを作って来ました。
設計士さんから、洋式トイレのサイズを教えてくれと夜勤明けに電話があったので、測って来たら、まりちゃんが、桜アンパンを一つくれました!
桜の香りがほんのりと、本当に美味しかったです!桜餡とは、中々風流ですね!やるな、サンテパルク!


 本をじっくり読みこんでいるので、あと16ページくらいですが、中々終らないので、ねこさんが痺れを切らしたのか(笑)本の周りをうろちょろしています(笑)
夜勤明け、ファミマで読んでいたら、11時になっていました(笑)慌てて帰宅しましたが、色々していたら(大半はギターかもw)設計士さんからの電話で、現場に戻りました。皆さんの笑顔を見たら、夜勤明けのぼ〜とした頭も冴えました。こうやって毎日、生かされているんだなと、感謝しています。


 

 下記は、後々、これを覆すような箇所も出て来ますが、根底にはこれがあるので、ぶれている様には感じませんでした。
現場でもそういう時がありますね。

『しかし、もし分析者が患者の差し出すものを受け取り、それに応答すれば、直ちに一種の治療的突破が起こり、治療が画期的に進展する。』
 でも、やり過ぎはいけないので、注意です。けじめをつける時は、きちんとつけないと、それでなくても輪郭がはっきりしない所で生きておられる方々は余計に訳が分からなくなりそうです。


 この本には、ウィニコットが良く出て来ます。それだけ、ウィニコットの感性が鋭いという事なのでしょうか?ウィニコットも何冊か読ませて頂いたので、少しは深く(品等かなw)理解できたと、思われます。






第二〇章 症状と診断
 〜退行が病原性を発揮するか治療力となるかの分かれ目を何が規定しているのかがであるのでこの問題に決着がつき、さらに外的事象によって外から左右できるようになれば、ここで問題は展開して、患者の退行が病因的退行と化する危険をすべて回避しつつ必ず治療的退行とするために治療者には何ができるか、となる。 私が若かった頃のこの領域における自分の臨床体験からはじめたい。退行についての臨床体験の共通化面は以下のとおりである。分析治療のある時点、一見正しい解釈を行った後、ある時点、において急変が生じ、これまでは患者が思いつくどころか嫌悪排斥していたような、単純な対象関係形成あるいは原始的充足形態を患者がためらいがちに差し出してくる。これを同情的客観的という通例の技法で解釈し去れば、それ以上発展はない。しかし、もし分析者が患者の差し出すものを受け取り、それに応答すれば、直ちに一種の治療的突破が起こり、治療が画期的に進展する。 この相違は、後者においては治療者もともに、“古典的”分析治療中に生じることに置き換えではないが、それに付加して、ある一歩を踏み出したところにある。〜
 〜その他にも、多くの面で退行とまぎらわしい臨床的諸状態が多数あり、その力動構造が根本から違うのにしばしば退行といっしょくたにされている。それらのうち、一番目に触れるものは引きこもり(withdrawal)だろう。これは周囲の人々あるいは分析者との接触を断念することである。引きこもりの一特殊型にウィニコットが「他者の存在下に孤独でいる能力」と述べたものがある(一九五八年)。また、誰でもみずから創造領域にほぼ完全に没収するならば、引きこもりの印象を生み出すだろう。これらの状態は短期間のこともあって結構長期のこともある。病的なことも完全に正常なこともある。付言すればそれらの状態中に些少退行が混じってもよく、相当量の退行さえ存在しうる。それでもってなお、私は以上と退行自体とは区別さるべきものと考える。
〜さて私の症例に戻ろう。正面突破が好ましい治療結果に至るための重要因子であることを認めたならば、この力動をどう理解すべきかという問題が生じる。あの好結果を生うぜしめたものは果たして何であったか。おそらく、まず、意識――というか自我――を強いて、抑圧の蓋を一部分ながら上げさせ、ある一箇の本能衝動を自我親和的なもの、楽しく充足させてよいものとして受容させたためという言い方もできよう。また、イドの領域を削って自我の境界をひろげ、結果的に自我強化したためとも言えよう。しかしまた患者を助けて新規蒔き直しに到達させたためという言い方もありうるだろう。新規蒔き直しでいけなけれぱ一種の退行といってもよい。〜