うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

昨日と今日の日中と、【分析家が転移の中で起こっていることによく注意していないと、患者を励ましてもっと一生懸命やるべきだと示唆したり、患者が動くよう超自我的に強要したりしたくなるだろう。】

 


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 昨日は、南ジャスでショートの方々と食事をしました!としちゃんが一番おいしそうに食べていました!連休前のせいか?空いていました。

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 自分のグループは今日は、貴ちゃんの提案で、本が沢山あるレストランに行きました!こちらもガラガラでゆっくり食べる事ができ、貴ちゃんも、本に囲まれて楽しそうでした!

 なんやかんやしていたら、帰宅時間になり、今日はしっかりされた方の夜勤、遅番でしたので、気兼ねなく定時に帰宅させて頂けました!ホームの方々が帰宅されていても、ショートの方々が来て下さるので、いつもうたたねは、賑やかです。夕方には移動支援を使われていた方々が帰宅され、いつものうたたねになっていました!

 今日も何事もなく、無事に過ごすことができ、皆様に感謝です!

 

 

 今日も早めに出て、ファミマで本を読みましたが、本当はタイムリーで今読んでいる箇所をアップしたかったのですが、まずは、ひとつひとつ片付けていきたいと、勝手に思いました(笑)。

 

 下記は、きちんとした対応がまだできていないのに、自分の存在を欲するあまり、無理やり支援するな!と言われているように感じました。

 『分析家が転移の中で起こっていることによく注意していないと、患者を励ましてもっと一生懸命やるべきだと示唆したり、患者が動くよう超自我的に強要したりしたくなるだろう。』

 

 

 下記は、自分だけしか、この人は見る事が出来ないと言う方々に対しての警告・箴言のように思えました。結局、時間をかけて(お互いの能力によって短期間できちんとした支援が出来る場合もありますが)じっくり取り組まないと、お互いに成長ができないですね。魔法なんてないので、現場で真摯に向き合い、色んな本を読んで、先人の力もお借りして、考え続ければきっと答えが自ずと出て来る時もありますので、ウィニコットが言うように、お互いが生き残らなければ、何も生まれない。長い期間、信用して頂いて預からせて頂けるだけで感謝ですが、やはり、きちんとした支援、関係を作るのには、それなりの時間が必要と言う事ですね!

『分析家が積極的な自我や超自我の役割を患者に対して演じたならば、それは単に患者の受動性もしくはマゾヒズムを促すだけのことになり、問題を長引かせるだけになってしまう。』
 

 

 ~理解を求めている自我の一部が分析家に投影されているので、理解に手が届かなくなっているように見える患者たちについて私は詳しく述べてきた。この時分析家は、自己のそのような部分と同一視されるようになり、Bの場合のように遠ざけられる。私はまたSという男性の患者の例を挙げて、そのようにして生じた純真さや愚かさが転移の中で何か挑発的なところがあるとしばしば感じられることを示した。そのような症例において患者は、自分とともに行動化するよう無意識のうちに分析家を巻き込もうとして、ように思われる。分析家が転移の中で起こっていることによく注意していないと、患者を励ましてもっと一生懸命やるべきだと示唆したり、患者が動くよう超自我的に強要したりしたくなるだろう。分析家が積極的な自我や超自我の役割を患者に対して演じたならば、それは単に患者の受動性もしくはマゾヒズムを促すだけのことになり、問題を長引かせるだけになってしまう。実際分析家は、自分の無力を経験する機会や、変化への欲求、患者に進歩してほしいという欲求を経験する機会を与えられているほうが、チャンスがある。もし分析家が本当にこのことをコンテインすることができ、患者がなぜ自身の自我において潜在的に価値のあるものを分裂排除して、それほどまでに分析家に投影する必要があるのか理解しようと努めることができるならば、分析は進展する。これと対照的なのが、患者と分析家双方による微妙な行動化や道徳化である。このような行動化は必然的に手詰まりへと到り、おそらく患者の過去になされてきたことの繰り返しになってしまうであろう。