うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

本が来た!と、堺屋太一の大予言? と、【もしこうした患者の目論見がうまくいってしまうと、分析家は適切に分析を行うことに失敗してしまうので、それは患者の中に勝利の感覚を引き起こす。】

 

 

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 本が来ました!もうすぐ、ベティ・ジョセフを読み終えるので、ちょうど良いタイミングで来ました。これの前の『心の退避場所』が本当は欲しいのですが、値段が吊り上っていて、これを読ませて頂いてから判断しようかと思っています。

 

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 今日は、夜勤明け(変更で)でしたが、2班に分かれて、自分は昨夜マック組のみなさんと約束していたのでマックに行って来ました。みなさん大好きな物は、めっちゃ早く食べられますんね!少し音楽を聴きながらドライブしてから戻りました。

 年度末や年度初の書類で少し参っていましたが、今日も皆さんから元気を頂きました!帰宅してから寝ようか?悩みましたが(笑)、結局またぼ~っとして、バッハを弾き続けて、もう少しで一曲仕上がりそうになりました。ちょっと難しく、弾けないと思っていましたが、ぼ~っとしたのがよかったのか?怖気づかずに弾けたのかな?まんじりとした時に人間は良い状態を作れるのでしょうか?まあ、深いことは分かりませんが、早く寝ます(笑)。

 

 

 夜勤の休憩時、携帯を充電しようとしていて、ふとニュースをみたくなり、開いたら下記の、堺屋太一の大予言? 20年前に書かれた近未来小説『平成三十年』がスゴイ!〈dot.〉(AERA dot.)があり、興味深く読ませて頂きました。 

 『「予測小説」は警世の書である。

 従ってここでは、「あって欲しくない未来」を描く。私(堺屋)にとって、平成三十年(2018年)に「最もあって欲しくない日本」は、「何もしなかった日本」だ。』ときたら、読みたくなりますよね?

headlines.yahoo.co.jp

 

 

 

  現場でも下記の様な駆け引きになってしまう事が良くありますが、それは表だってしているのではなく、転移・逆転移的に起きていたりするので、過剰な投影をされている時には、判断を直ぐにはしないでおきます。投影されているのが分かっていると言う前提ですが。自分しかこの人を見る事ができないと、どこの施設でも豪語される方がいますが、それは投影されてしまっていることなのだと思われます。自分がしたくないことを支援者にやれせる、自分が嫌なことを支援者に無理やり入れ込もうとしているのにまとも受けてしまっているんだと、思われます。

 仕事とは、ニーズに応えることなので、その方にとっての本当のニーズってなんだろう?とまずは考えることが大事だと思います。軸が固定されていないのに、動き始めると、どちらに向かうのか?読めませんよね?と、自分に言い聞かせています(笑)。

 

 

 ~ジョセフは分析関係の中でサディズムマゾヒズムがどのように姿を現すかを詳しく述べている。患者は理解や助けを求めているように見えるかもしれないが、実際には患者の話ぶりは、分析家の中に不安や絶望を引き起こし、分析家の感情を刺激して厳しく批判的になるよう仕向けることを無意識のうちにねらっているのである。もしこうした患者の目論見がうまくいってしまうと、分析家は適切に分析を行うことに失敗してしまうので、それは患者の中に勝利の感覚を引き起こす。
 これらの患者では、2つのコミュニケーションの仕方を区別することが常に重要であると、ジョセフは強調している。1つは、絶望や抑うつや不安に対して、理解や助けを得ようとするコミュニケーションで、もう1つは、サド-マゾ的環境を永続させようとするコミュニケーションであって、患者と分析家はどちらもそこにとらわれたままになってしまうのである。
 分析家が、絶望に陥らせようというプレッシャーにも耐えることができ、厳しくサディスティックな仕方で行動化させようとするプレッシャーにも耐えることができ、患者が理解されたと感じる時、そこから得られるより大きな統合には、心的痛みについての先の論文の中でジョセフが述べたタイプの鋭い痛みが伴うであろう。この痛みのせいで患者は、慣れ親しんだマゾヒスティックな防衛を再び展開しようとするかもしれない。