うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

節水と、東大祝辞の核心「日本は世界一冷たい国」と、【しかし子どもは自己のこの経験する部分を分析家に投影することによって彼の苦痛を伝えると同時に、一時的に彼自身から苦痛を取り除き、したがって理解も取り除くことになってしまう。】

 

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  昨日、雨が降りましたが、少しは足しになったのでしょうか?車を持っていない身には、助かっていますが、水不足は困りますね!

 

 

 少し下記の話題が静かになったので、敢てアップさせて頂きました。他人のことを思えるには、自分自身に余裕と自信が必要ですね。余裕とは、経済的であったり、時間的な事であったり、色々な要素が必要でもあります。自信を持つには、本当の意味での教育(IQよりEQを重視するような)が必要ではないでしょうか?上野千鶴子先生もそれを言いたいのではないのか?と勝手に思っています。その為にも、精神分析的な考えを、道徳を押し付けるのではなく、誰にでも分かり易く、小さなころから教えて行くと言うのが大事ではないでしょうか?現場にいても、余裕のある支援者とない支援者の差は、明らかに支援に影響を及ぼすし、物事を進めて行くにあたっての、優先順位を即座に判断して行く能力も(せめて前日に自分の中で、いくつかのパターンをシュミレーションしておけばその選択だけで済むし、その中になければ、それをアレンジすればよいだけだと思われますが)必要です。

 身近にも自分の存在が欲しいがためにだけ、福祉をしているんだな、って思われる方々がいますが、みんな気づいていても見て見ぬふりをしていたり、田舎ほど事なかれ主義や事大主義がはびこってしまっている気がします。それが良いとか、悪いとかは言う気は全くありませんが、見ていてそんな生き方をして、自分を殺してまで得る物がなくなるのに......。それこそ、上野先生が言いたいことではないのでしょうか?

 

headlines.yahoo.co.jp

 

 

  新年度に入り、次から次へと、課題が出て来て何とかひとつづつ解決はしていますが、あとひとつあるので、それをクリアーできれば、一段落つきそうです。勿論、皆さんのご理解・ご協力があってのこそですが。

 

 昨日は、毎日の3つのルーチンのうち、ギターを弾く事しかできませんでした(笑)。

ファミマに行っている時間がなかったので(笑)、本が読めませんでした。自宅にいると、誘惑に負けて(笑)、ついついギターを手にしています(笑)。ストレッチも体がだるいとやる気がしなくなってしまいます。軟弱ものですね!

 

 

 下記は、下記だけで十分な説明にはなりませんが、現場では、その苦痛を少しずつ感じて(その方が耐えられるレベルで)頂きながら、時にはこちらから同一化して、本当に同一化でき、その方が安心・安全感が得られることができれば、徐々に離れて行けるようにしていくと、その方の成長が見られます。表出の言語が無くても、言葉の意味理解が出来なくても、非言語コミニュケーションをきちんと感じて、それを分かり易く返すことができれば、同じことですね。

  

  ~彼からの体験は彼が言葉で表現できる範囲を越えているのである。その子どもがくっついたり、貼り付いたり、攻撃したりする時に、彼の行動は直接的ーー非言語コミュニケーションーーに見える。しかし、メラニー・クラインの理論によって新しい技法上の道具が得られたのであるが、それは投影性同一視の理解を通してである。すなわち、転移と逆転移における投影性同一視したり具象性の理解であるので子どもの投影性同一視に反応して、私が描写したように、分析家は動けなくされていると感じる。このような投影性同一視の使用に気づくと、付加的な次元が与えられ、それによって分析家は、理解のために彼の逆転移を積極的な道具として使うことができるようになる。しかし子どもは自己のこの経験する部分を分析家に投影することによって彼の苦痛を伝えると同時に、一時的に彼自身から苦痛を取り除き、したがって理解も取り除くことになってしまう。