うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ハロウィンと、【そうしていないならラッカーが述べているように、分析家は逆転移を抑圧するか、逆転移の中に溺れてしまうしかできないでしょう。そのどちらも患者の手助けになりません。】


 今日はハロウィンだと、朝のニュースで初めて知りました(笑)
写真は、金沢の商店街にあった八百屋さんのものです。
個人的には、大勢で集まって騒ぐのは苦手なので、イベントは本当は好きではありません(笑)今晩は、早く寝てやろうと思っています(笑)


 今日は、早番で少し現場を手伝って、少し事務仕事をやって、あちこちと車で移動しました。
早、明日からは11月ですね! まだ期限のある事務仕事が残っていますが、給与計算にも取り掛からないといけません。
給与計算が一番気を使う仕事ですが、よく間違えるので、皆さんにご迷惑ばかりお掛けしていて申し訳ありません.......。




 本は早めに出て、ファミマで読みました。
逆転移といっても、感じ方が色々あるし、昨日のクラインが言い放った「混乱しているのは、あなたでしょ!」と言われるようなことばかりしている様な感もあるので、反省しきりです。おそらく、精神分析家になるということは、禅僧になるようなことなのではないのか?と今日は思いながら本を読んでいました。
 まだ、総説が終わっていませんが、その総説の各章の説明を読むだけでも、本を読むのが楽しくなってきました。


逆転移についての論文は、ほかの技法上の概念よりクライン派やそれに近い分析家たちによって書かれてきています。1950年のハイマンのオリジナル論文に加えて、モネー・カイルの著者(1968,しかし、1950年代に書かれている)、グリンバーグ(1962)、スィーガル(1977a)、ブレマン・ピック(1958,ここに再掲載)の論文があります。これらすべての著者は、患者についての情報の源泉としての逆転移の利用を唱えています。その多くは、患者はよっての治療者の治療的なバランスの壊されてしまい方と、その一方で、落ち着きを失っている状態が治療状況をよりよく理解していくために使えるときがあることを検討しています。 モネー・カイルの156年の論文『正常な逆転移とその逸脱』(ここに再掲載)は、彼が“正常な逆転移”と呼んているもの――患者が部分的に表象している治療者自身の内的対象群や自己への償いの願望や好奇心の結びつき――を描いています。この“正常な逆転移”は、スィーガル(1977a)がビオンの受け皿(コンテイナー)/収納物(コンテインド)公式を使って描いた患者の感情をとり入れて、包み込み、変形する分析家の一般的な能力という考えと一致します。モネー・カイルによれば、分析家が、分析家自身の個人分析体験によってなじんでいるがゆえに自分自身に受け入れられるし、知っている素材を患者が産み出すかぎりは、転移/逆転移具合はうまく展開します。しかし、取り込むように患者がプレッシャーをかけてきているものを分析家が理解したり受け入れたりできないとき、この正常な逆転移が破綻するのです。患者は自分の中にあって自分がもちこたえられないものにもっと強力に投影することによって、分析家の能力のこの破綻に反応しがちです。モネー・カイルが描いているこの過程は、今日ではビオンの業績のおかげでなじみ深いものになっています。ともかくもモネー・カイルのこの論文はビオンのコンテイナー/コンテインド(1962)についての大いなる貢献よりも以前に書かれました。モネー・カイルは別の局面も付け加えています。すなわち、いくらか彼は“投影−逆−同一化”というグリンバーグの概念を見越しています。そこでは、分析家の中に患者が投影している側面に、少なくとも一時的には分析家は同一化させられてしまい、情緒的に乗っ取られています。もっともグリンバーグは、この投影をなす患者は本人自身が自分の原初的体験群からの強力な投影を受けてきた人たちであることを強調しています(Grinberg 1962, Segal 1977a)。モネー・カイルによれば、分析家の情緒的な仕事とは、もつれている患者の無意識の空想と分析家自身の無意識の空想とを分離していくことです。そうすることで、患者の不安や投影が高まっている理由を分析家は解釈できるのです。このことを分析家ができないときに、分析家は“陽性の逆転移”に頼り、患者をなだめたり、何かで安心づけしようとするか、あるいは“陰性の逆転移”に頼り、患者に攻撃を加えるのです。どちらの場合においても、分析家の直観は失われており、そのため理論だけに基づいた解釈がなされます。ラッカー(1968)は異なる用語を使いよく似た考えを展開し、もっとたくさんの実例をあげています。 モネー・カイルと同じように、ラッカー(1968)やスィーガル(1977a)、最近ではロゼンフェルド(1987)も、患者から影響を受けることにオープンで受容的であるとともに、距離があって患者だけでなく自分自身についても分析的であることが分析家に求められると強調しています。そうしていないならラッカーが述べているように、分析家は逆転移を抑圧するか、逆転移の中に溺れてしまうしかできないでしょう。そのどちらも患者の手助けになりません。