うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ギターを弾きながらお薄(笑)と、【投影性同一視は、非言語的なコミュニケーションから言語的な思考へ翻訳することができたならば、問題となることが少なくなる。】(治療の行き詰まりと解釈より)


事務仕事に追われているので、1分でも無駄に出来ず......。
それでも、休日にまで事務仕事に追われるとストレスが溜まって来て(笑)
エアロスミスを弾きながら、お薄を頂きました(笑)
 5分くらい弾いたらすっきりしたので、PCに向かいました(笑)
いくら田舎でもアンプを鳴らせないので、MTRからヘッドフォンで弾いています。

 晩御飯って食べたっけ?って感じですが、給与計算集計表を会計事務所さん用に打ち込みながら、親分が用意してくれていたものを食べた記憶が......。



 こちらは、先日大量にシールが手に入ったので、カーグで描こうかとの話になり、グレッチのギターケースに貼ったら?と親分の提案で貼ってみましたが、どうやって描くのか?元々、おっちゃんのPANK! PANK!! PANK!!!をシルクスクリーンにして刷っていたので、余計に騒がしくなってしまいました。区画倒れになりそうです(笑)
 次回のアレクサンダー・テクニークは、ギターを弾いている時の姿勢を見て頂くので、このケースは恥ずかしくて持って行けそうにもありません.....。



 午前中は自分の受診で豊橋でしたが、今日は公共の交通機関を使って(焦りのあきらめがつくのでw)豊橋までの往復でほぼ『治療の行き詰まりと解釈』を読み終えました。

 次はこちらに進みます。こちらも去年出た本です。このシリーズは3冊目でしょうか?2冊は既に読ませて頂きましたが、読み進めているうちに、きっと読まないと忘れてしまっていると思われますので、読み返す事になると思います。

 取り敢えず、今日読んだ箇所のアップです。
下記は自分達も認識しておかないと、きちんとした支援が出来ないと思われます。
『しかし同時に投影性同一視はしばしば分析家を混乱させるものであり、患者を判断し、評価する分析家の能力を妨害し、その思考を妨げる。治療の最初から、特に精神病の患者にあっては、強力な投影性同一視が引き起こされ、ほとんど催眠的な雰囲気が生じる。こうした場合には、治療的に機能し、状況をコンテインする治療者の能力は、治療者の情緒的な資質と理論的な理解の程度に依っている。この両者は相互に影響しあっているので、分析家の情緒能力が、何が起こっているかを彼が自分の感情に耐えることの助けになると認識しておくことは重要である。』

 きちんと支援が出来ているということは、奇跡でも、まぐれでもありません。きちんと勉強しているだけのことだと思われます。


第9章 境界精神病患者における投影性同一視とコンテインすることの問題
 第8章で私は、投影性同一視が、耐えがたい素材の荒々しく強力な爆発という形をとるときがある一方で、患者と分析家との間のコミュニケーションの機会をつくることもあるという見解に注意を喚起した。分析家が治療的に機能している場合には、分析家は患者のコミュニケーションを(特に逆転移を通じて)コンテインすることができ、それを利用して自分の、またその結果患者自身の、理解を深めることができる。しかし同時に投影性同一視はしばしば分析家を混乱させるものであり、患者を判断し、評価する分析家の能力を妨害し、その思考を妨げる。治療の最初から、特に精神病の患者にあっては、強力な投影性同一視が引き起こされ、ほとんど催眠的な雰囲気が生じる。こうした場合には、治療的に機能し、状況をコンテインする治療者の能力は、治療者の情緒的な資質と理論的な理解の程度に依っている。この両者は相互に影響しあっているので、分析家の情緒能力が、何が起こっているかを彼が自分の感情に耐えることの助けになると認識しておくことは重要である。〜

〜投影性同一視は、非言語的なコミュニケーションから言語的な思考へ翻訳することができたならば、問題となることが少なくなる。それが言葉で話されて初めて、患者と夫の強力な行動化は分析家能となるのである。〜

〜自分の死んだ赤ん坊の部分を夫に投入したために、クレアは夫を助けることも不可能となった。この状況で、彼女は治療者の理解に完全に依存することになった。精神病患者を治療するとはどういう意味を持つかを分析家が理解することが重要なのはこの理由によるのであり、患者の分裂したすべての部分と接触を持って、それを自分の心のなかにまとめるのは治療者の仕事なのである。治療者は、決して外的な力によって状況をコントロールすべきでない。治療者は自分の心に浮かぶことの詳細すべてをずっと追っていくべきであり、そうすることによってそれが何を意味するかを理解しはじめるようになるのである。患者は問題を考えるための心は持っていないことを治療者は認識しなければならないが、それゆえ治療者は患者の問題のすべての詳細を心に集めてそのことについて考えていくことが必要になるのである。患者に自分の問題の責任をとる姿勢が全く見られないことを治療者が認識した場合には、それと共謀して問題を避けようとしてはならない。分析家は、患者が自分の問題として考えることをなぜこうも恐れているのかを患者が理解できるように、いろいろのつながりや結びつきを探すことで助けるべきである。すると少しずつ、治療者は患者に何が起きているかを気づかせられるようになる。治療者は細かい情報の断片によって患者を圧倒したり、患者に無理におしつけたりすべきでない。治療者は自分が少しでも詳細に解釈することは何でも、完全に理解可能なものにして伝達しなければならない。そうすると治療者は、患者が治療者からたくさんのもの引き出していること、患者が大変感謝していてすすんで自分のことを考える役割をひきつぐこと、そしてついには、自分を悩まし耐え難いものとしてかんじられていたいくつかの問題に対して、知識を身に着けることができるまでに患者が至ることを見いだして、楽しくなるものである。〜