今日は、名古屋でアレクサンダー・テクニークを受けてきました。
先生が先月、京都に引っ越されたので、先生も東海道線の快速を乗り継いで名古屋まで来られたそうですが、朝7時に出て来たとのこと。自分も7時15分発の渥美線に乗ったので、そんなにかわらないことに驚きました。
いつまで、先生に体を見てもらえるのか分かりませんが、これで3年目。先生が本場京都で、根を降ろされて、名古屋に来れなくなったら、アレクサンダー・テクニークは終わりにさせて頂こうと思いました。
年に一回、京都で見てもらうのも良いかもしれませんね。京都の友人を誘うのも良いかもです。
会場がキリスト教系なので、いつも素敵に、聖書の一節を飾っておられますが、今回はアートを感じたので写してしまいました。
自分は、抑うつの母親(自死しています)から産み落とされ(笑)アスペルガー的なアニキに執拗に付きまとわれ(笑)幼いころから試練の連続(笑)です。今も職員たちにハゲだたわけだとか言われて(笑)いますので、じっくりと読ませて頂きました。
豊橋まで戻ってきて、定期受診もありましたが、アレクサンダー・テクニークを意識しながら、ジムで体を追い込んでいるせいか?強い薬がなくなりました!
筋トレやストレッチも、むやみやたらにやってしまうと、体を壊してしまうので、きちんとボディマッピングを意識して、必要のない力は入れず、頭がい骨と脛骨、背骨、坐骨の位置を意識しながら行っています。
電車の中で『メラニー・クライン トゥデイ 1』を読み終えました。次は続けて2の方に入りました。
本当に勉強になる本です。非常に高価(出版時の価格はそうでもありませんが)ですが、本当に良い本です。
〜精神病患者たちとの私の仕事のなかで、私は、メラニー・クラインが記載した投影同一化と関連をもつさまざまなタイプの対象関係や心的機制に出会った。そうしたなかでも投影同一化の2つの型を区別することはとても重要である。すなわち、他の対象群とのコミュニケーションに使われている投影同一化と自己の不要な部分を取り除くために使われる投影同一化である。 はじめにコミュニケーションの方法として用いられる投影同一化を検討してみる。多くの精神病患者は他者とのコミュニケーションに投影過程を使う。精神病者のこれらの投影機制は、正常な幼児期の関係の歪曲か増幅のようである。それらは幼児と母親との非言語性のコミュニケーションに基づいており、幼児には耐え難い衝動や自己の一部や不安は母親のなかに投影される。そして、そこでは母親は本能的に幼児の不安を包み込んだり、それをふるまいによって緩和することができる。この母子関係はとくにビオンによって力説されてきた。転移のなかでこの過程を使う精神病者は、意識していながらそうすることもあるが、多くは無意識でのことである。彼らは分析家が彼の体験を、感じて理解し、それらを包み込むことができるようになった分析家のなかに衝動や自己の一部を投影する。これによって、それらはそれらのもつ恐ろしくもあり、耐えがたくもある性質を失うし、分析家が解釈を通してそれらを言葉に入れ置くことができることで意味を持ち始める。この状況はとり入れ過程の発達や自我の発達には根本的に欠かせない重要なものと思える:それが患者が自分自身の衝動にもちこたえることを学び知ることを可能にし、分析家の解釈が幼児的反応や感情を、より正気の自己、それさ以前は意味を欠き、恐ろしいものであった体験について考え始めることができるのだが、その自己へとより近づけるようにする。コミュニケーションのためにひたすら投影する精神病患者は、明らかに、彼についての分析家の理解に対して敏感である。そうしたわけでこの種のコミュニケーションが認識され、適切に解釈されることは不可欠である。 2番目の点としている心的現実の否認に使われる投影同一化を検討したい。この状況では患者は、衝動や不安に加えて彼自身の一部を排除し、心をかきみだす心的内容を排泄し、からにしてしまう目的で分析家のなかに投影し、それが心的現実の否認をもたらす。そもそも、この種の患者は、その排泄過程や問題の否認を分析家が許すことを望む。彼ははげしい怒りでしばしば解釈に反応する。というのは、解釈は批判や恐怖として体験されるからである。それは、分析家によって、不安で、耐え難く、意味を欠いている心的内容が自分のなかへと押し戻されると患者が思い込んでいるからである。 コミュニケーションと排泄の過程はどちらも、同時に、もしくは、交互に精神病患者には存在するし、患者とのふれあいを保ち、分析を可能にするためには、これらをはっきりと区別することが不可欠である。 第3の点として用いられる対象関係や極めて早期幼児期の型に基づいているようで、分析家の身体や心をコントロールすることを目指している、精神病患者に極めて共通な転移関係を検討したい。
分析のなかで。患者が自分自身を万能的な分析家のなかへ押し込んだと信じていることこそが分析家との融合とか混乱そして自己の喪失に関連した不安をもたらすが、それを私たちは観察する。投影同一化のこの型では、分析家のなかへの自己の狂気の部分の投影がしばしば優勢になってくること、そこで分析家は狂ってきていると知覚され、患者は、分析家が復讐を企て、患者の正気をすっかり奪い取り、狂気を患者のなかに力ずくで戻し込む、と恐れているので、それはひどい不安を呼び起こす。そうしたとき、患者は解体の危機にあるが、患者と分析家の関係についての詳しい解釈が、この万能的で妄想的な状況を突き破らせ、破綻から保護する。
しかしながら、そうしたときに患者と分析家の言葉でのコミュニケーションがだめになってしまう危険性がある。というのは、分析家の解釈は患者からは誤解され、誤って理解され、それにまた、患者とコミュニケーションは、抽象的な思索がほぼだめになっていることをうかがわせる具体的な性質をしだいに呈してくる。私はこうした状況を研究していくなかから万能的投影同一化が、言葉での思索や抽象的な思索を妨げ、現実と空想との混乱をもたらす心的過程の具体化を産み出すことを見出だした。過剰投影同一化excessive projective identification の患者では、言葉での解釈の誤解を引き起こす具体思考過程が支配的なので、言葉やその内容が患者からは具体的で非象徴的な対象群として体験されることを認識しておくことも分析家の臨床では欠かせない。〜
〜「投影同一化は母親との早期の自己愛的関係の一部であったし、そこでは自己と対象との間の分離を認識することは否認されている。分離の認知は、対象への依存感をもたらし、それゆえに、不安をもたらす(Mahler 1967を見よ)。加えて、対象のよさが認識されたとき、依存は羨望を刺激する。万能的自己愛対象関係、なかでも、万能的投影同一化は、欲求不満から引き起こされた攻撃感情や欲望がめざめることを前もって取り除く」。〜
〜精神病患者では投影同一化は分離不安に対しての防衛よりもむしろ、よりしばしば、過剰な羨望に対しての防衛であり、それは患者のナルシシズムと密接に結びついている。〜
〜「もし、過度な憤慨や羨望が幼児の母親との関係を支配しているなら、正常な投影同一化はどんどん支配的なものになっていき、それは万能的妄想的色調を帯びてくる。たとえば、羨望や万能感にかりたてられて、母親の身体へと空想のなかで這り込む幼児は、母親もしくは乳房の役割を受け継ぎ、彼が乳房という母親であると妄想する。この機制は躁病者や軽躁者で重要な役割を演じるが、精神分裂病者ではとても誇張された形で生じてくる」。〜
最後に、対象関係の2つのよく似た型に注意を向けておきたい:寄生的対象関係と妄想的対象関係である。寄生的対象関係では、分析のなかで精神病患者は、対象――分析家――の内側にすっかり住みついているとの信念を持っている。そして、分析家は自我として機能することが期待させている。重篤な寄生性は完全な投影同一化の状態と見なされよう。しかしながら、それは羨望や分離を否認する防衛的な状態であるだけでなく、攻撃性、とりわけ、羨望の表現でもある。攻撃性の防衛と行動化との組合わせこそが寄生状態をとくに難しい治療上の問題にする。寄生的な患者は全面的に分析家に寄りかかり、しばしば、分析家が患者の全生活についての責任を抱え込むほどにする。一般に、彼は極度に受け身で無口で不活発にふるまい、すべてを求め、なんの見返りも与えない。この状態はたいへんに慢性なもので、こうした患者との分析作業は、しばしば最低限なものである。〜