うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

エアコンの洗浄と、成年後見人には「親族が望ましい」 最高裁、考え方示す朝日新聞デジタル【つまり、対象がその自己の一部でありその自己に融合している限りですそれは生き続けることができ失われることはない。】

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 今日は、共有部分のエアコンの洗浄に、業者さんが入ってくれました。
フィルターは、まめに洗っていますが、一年間でこんなに汚れるんだ!って思うほど、汚れていたと、見た職員が言っていました。毎年しないといけないですね。

 

 昨日、気になったニュースの二つ目です。

 1年前に介入させて頂き、介護認定や入所まで関係させて頂いたご家族が、退院して1年経ったので、一緒に食事をと、言ってくれましたが、3月は忙しいのもありますが、仕事としてさせて頂いたので、とお断りさせて頂きました。確かに大変ではありましたが、自分も含めて、本当に勉強にもなったし、車椅子への移乗や車椅子で段差を上がり降りするところを、皆さんに見て頂き学習して頂けて、職員さん達も本当に勉強になりました。一番上手だったのは、女性の介護福祉士でしたが、本当に見事でした!

 

 下記のニュースにも関係あるのですが、皆さん何かあった時に慌ててしまい、こちらの言っていることも良く理解されずに、ただ、信じて言ったようにしてくれているだけで、後になって理解して頂けることがよくあります。

 

 下記のニュースは、やはりコメントが時代を映しいて、興味深いです。

悪いことをするのは、第3者だけでなく、身内にもいるのでどの選択肢が本当によいのか?は、ハッキリした答えがないし、遠い親戚しかいない場合にはその方にできるのか?という疑問もありますし、それなりに面倒くさいこともしなければならないので、気安く親戚だといっても頼みづらいのも事実ですね。コメントに第3者がきちんとチェックというのがありましたが、身内がしている場合は、家裁がチェックしていました(親分の場合は)。逆に弁護士さんがされる場合はどうなのでしょうか?利用者さんがされていた時の一例だと、ハッキリした報酬額も示されずに、保険証なども直ぐに渡してもらえなかったので、その弁護士さんを止めて、違う弁護士さんに代わったケースもありました。一番近い身内がなれるのがいちばんいいのかも知れませんが、障がい者年金でさえ、それを当てに生活をされておられる親御さんもおられるので、本当にはっきりした答えは出ないのではないのでしょうか?

 生きていくことは、本当に大変だと思います。

 

 

 

 同一化というのは、されるだけでなく、するということも出来るので、それを利用させて頂く接近の仕方もあります。支援が難しいの場合は、必須な技術かも知れませんね。寄り添うという行為だけでも、投影し合っているし、それを段々同一化していければ(大変しんどい時もありますが)、同一化できた瞬間に、安心・安全感が生まれます。それを上手く利用して(安全だと思って頂いてから)その方に沿ったやり方で、支援ができれば(言葉では難しいですが、最初のノンレムの15分前後が一番眠りが深くて、オシメが出来ないと言われている方でもできたりします。只、今言いたいことは覚醒している時のことですね)、例えばその方が音楽が好きであれば、その好きな音楽のテーマの人物や動物になり、ご飯を一緒にたべようか?おふろに入ろうか?とか、アクションを起こす時に使えますし、音楽以外でもその人の癖だとか、なんでも自分が感じた物を利用できれば、何とかなります。こう書くと相手にされないので(笑)、著名な方の文献から引用させて頂き、半分無理やりに(笑)それに意味づけさせて頂いています(笑)。老子が言うように、人が笑わなければ、道を説いたことにならないのかも知れませんが........。本当に理解していない人には、笑い話にしか聞こえないのかも?ですね!

 

 一番大事なのは、同一化したり、されても、そこから徐々に離れていくことをしないと、お互いに成長は出来ませんので、同一化した、されたで安心するのはまだ早いですね(笑)。それには、お互いに苦痛を感じるでしょうが、ビオンが言っていた事、痛みを感じる事が出来なければ、嬉しさも感じる事ができないのです!

 

 

 

 それでは理想化された対象から始めるに当たって、以下の2点を指摘しておきたい。それは、外部のよい必要とされる対象は、それが羨望と憎しみを引き起こすがゆえに、これらの患者にとっては耐え難く、彼らの主な困難はそこから始まるという点。しかし何か重要な外部の対象が、よいものであり必要なものだと感じられるとただちにそれは取り入れられ、患者の自我と溶け合って一体となるほどに所有されるという点である。

 対象がすっかり食い尽くされ、別個の存在をもたないことによって、ある意味で無意識に打ち負かされると同時に、一方ではおおっぴらな攻撃から救われていることをこれは意味している。こういう状況では、それは理想的といえる。


 ~この理想化された対象への完全な同一化は、個人にとって更に本質的な価値をもつ。つまり、対象がその自己の一部でありその自己に融合している限りそれは生き続けることができ失われることはない。この状況は、フロイトが、対象の喪失と区別のつかない口唇期の愛について語った時、述べた事柄と共通点があると思われる。