うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

全国障害者芸術・文化祭なら大会と、【最後に、これらの患者たちはよい内的対象を欠いていたため、孤独に対する耐性が低かった。彼らは他の対象との投影同一化の状態になければならなかった。】


 愛知県の方から、全国障害者芸術文化祭の、写真が送られてきました!

 おかもっちゃんの作品が、今、奈良にあると思うと素敵ですね!
大阪人なので、奈良は良く行きました。京都に長く住んでいましたが、個人的には奈良の文化財の方が好きでした。
 主催者の奈良県からは、11月23日〜25日の展示期間中に、1,570名の来場者があったと聞いておられるとのこと!
3日間だけですね。
 カーグの作家さんたちの作品は、2月の頭まで、蒲郡の平野屋さんで見る事ができますので、皆さん、是非ともご高覧下さるよう、お願い致します!




 今日は、休みで自分の受診後、浜松にやっとテレキャスターをもらいに行くことができました。
時間があまりなく、竹下さん所有の凄いアンプでじっくり弾かせて頂けませんでしたが、よりテレキャスターらしい音になって帰って来ました!
 帰宅後、少し弾きましたが、やっぱりテレキャスターは、自分の思いが一番ダイレクトに出るギターだと改めて実感しました。
冬場は、塗装が溶けないので(笑)暫くは335よりテレキャスターを弾こうと思います。
フレットは、ステンレスだと丈夫ですが、音が硬くなるとのことでこちらの物にして頂きましたが、材質を聞いたのにすっかり忘れています(笑)光の加減で金色に見えます。
 335もピッチが合わず、2回修理に出しましたが、いずれも改善せず、ネットで必死こいて(笑)探し、藁にもすがる思いで335を持って行き、見事に直してくだっさたので、テレキャスターも安心して修理に出すことが出来ました。335は、1年経った今も、雑にほぼ毎日弾いていますが、ピッチは完璧です。
 ボロボロのグレッチもフレットが.......。予算がないので、2年後くらいでしょうか(笑)




 本は、受診待ちで沢山読みました。
今は、次の章も終わっていますが、この章も本当に勉強になりました。

『A氏にはしっかりと内在化されたよい対象というものがなく、対象を扱う主な手段は投影同一化と万能的なコントロールだった。』は、知的に障がいをお持ちの方々にも当てはまりますし、内在化されたよい対象を作っていくのが支援者の役割だと思っています。よい対象は、その方々によって違うので、毎日の生活の中でヒントを感じ取り、作って行くしかないですね。時間が掛りますが、時間が掛った分、得る事はお互いに大きいと思われます。


4,見えないエディプス・コンプレックス エドナ・オーショウネスィ
 エディプス・コンプレックスについての最近の論議は、それが、普遍的なものでかつ中心的重要性があるのかということだが、今のところ「発達にまつわる中核コンプレックスである」ことは認められている。分析の長い期間に及んで、また人によっては示唆しているように、分析の全経過を通じてエディプス的素材が全く現れないことがあるとの臨床事実がある。分析家はさまざまにこの事実を説明している。1つはコフートとその後継者によるもので、彼らはエディプス・コンプレックスを無視して自己心理学理論を打ち立て、欠損に焦点をあて、その修復をさずけるという新しい臨床技法を提唱した。クライン派はその逆である。そのアプローチは、エディプス・コンプレックスがいわゆる“見えない”状態にある場合、重要でないからそれが見えないのではなく、とても重要なものだからであって、患者がそれを(どんな理由にせよ)取り扱えないと感じており、心的手法を使ってそれを見えないままにしているというものである。 この論文では、エディプス・コンプレックスのごく狭い範囲:早期発達が妨げられたあとに始まるエディプス・コンプレックスの最初の段階、に焦点をしぼった。フロイトの中核コンプレックスにクラインが早期段階を加え、彼女の見解では精神の健康さがかかっている抑うつ態勢とのちに結び付けた際、彼女は、患者それぞれに独自の携帯がとられるようになるエディプス・コンプレックスの情緒コンステレーションを拡大した。これから私が提示する患者たちは、早期のエディプス状況に絶えず脅かされ、それを消してしまおうと懸命である。しだいにはっきりしてくるが、排除されたとの感覚、エディプス的カップルの面前に一人でいて分離されていることの問題、そしてなかでも独特な性の分割が主題だった。〜

メラニー・クライン(1952p,55)は描いているのだが、「この【結合した両親像】はエディプス・コンプレックスの最早期段階を特徴づける空想形成の1つの型であり、そのままの強さで継続するならその後の対象関係や性発達に有害である」。
 私の見解では、このコンステレーションのもっとも重要な特徴は、性的な両親を引き離し、攻撃することをめざした投影同一化が、統合を分断するfractureことである。情緒は早期の水準にあるため、この分断の対象は再びとり入れられることのない投影によってすでに歪曲されているが、分断とさらなる投影を通して、これら対象の、異性とつがい子をもうけるという性質は壊され、代わりに患者は病的な――歪んで全体性がなく壊れたままの――性的対象を得ることになる。しばしば父親は、父親や夫としてではなくサディスティックな男根的男性として見られ、母親は弱々しい無防備のマゾヒスチックな女性となり、どちらも異性に対抗した同性愛的な同盟に通じていると感じられる。この空想はとても万能なため、患者は自分が性の分離を達成したものと確信し、たとえば女性について夢想し論じようとするが、それはいつも女性か女の子とであり、同じように男性についてもいつも他の男か少年とでしかない。〜

A氏にはしっかりと内在化されたよい対象というものがなく、対象を扱う主な手段は投影同一化と万能的なコントロールだった。
M,クラインは「ときに分析家は一度に両親を表象しているようにみえることがある――そうした場合、しばしば両親は患者に対して敵対的同盟を結んでおり、それによって、陰性転移は非常な強さを獲得している」と述べている(1952 p.55)。
〜患者とともに“アクティング・イン”することへの圧力の一部は、ひどい仕事あるいは変わらないままでいることや意味を欠いていることがすべてそのままよいと受け入れるような解釈を引き出す圧力でもある。患者は分析家に今まで行なってきた精神的な作業を無視するように誘い、また、今でも患者がセッションの中でやっていることだが、彼がコントロールし、消えてしまおうと強く望んでいる早期エディプス状況を見えないままにしておくよう誘い込む。〜
最後に、これらの患者たちはよい内的対象を欠いていたため、孤独に対する耐性が低かった。彼らは他の対象との投影同一化の状態になければならなかった。孤立のテーマは、レオンの分析の中では未だ動的なものでなく、一方A氏の分析では順調に進んだが、A氏は両親カップルに気づき孤独を感じるといまだ苦痛を味わっている。彼らにとってエディプス物語はそこ――すなわち、追放――から始まった。つまるところ、それはオリジナルな神話と同じくするところである:ライオスはエディプスを追放している。