うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

なぜ頭のいい子は、モノを平気で壊すのかと、【私の考えでは、こうしてはじめて心的痛みがそれとして経験され、患者がこれから退却してしまわなければ彼の痛みを経験する能力は増す。】


 今朝、ネットのニュースを見ていたら、興味があって開いたり、気になったりしたものがあったので、順次アップさせて頂きます。

 まずは、上記ですが、その域に達することが出来るのは、やはりその場が、その方にとって安心・安全でないと色々試す気持ちにはなれないだろうなとも思いましたし、家庭環境においても、親の収入だけでなく、親としての在り方で、子どもが安心安全感をえられるなら、安心して色々なことを試せるんだな、とも思いました。 

  それは勿論、福祉の現場でも同じだと思われます。

 

 

 

 

 下記に書かれていることも、上記のように、安心・安全感がないとできないことだと思われますので、先にこのニュースを取り上げさせて頂きました。

 

 何事においても、しんどく、大変な思いを通り越さないと、何も生まれません。

 

 

 まず、分析家が患者による対象への投影同一視の性質を分析すると、防衛において変動が生じるが、その変動には、以前のバランスへと戻ろうとして投影機制projective mechanismの素早い再使用と不安が同時に伴う。外的にも内的にも何が起こっているのかに積極的に興味をもつようになるのは、こういった側面が患者によってさらに統合され自我が強化されてのことである。私の考えでは、こうしてはじめて心的痛みがそれとして経験され、患者がこれから退却してしまわなければ彼の痛みを経験する能力は増す。ビオンは「たとえ患者と分析家が痛みそのものを減らすことを望んでいるにせよ、患者の、痛みに耐える能力を増大させる分析経験の必要性」について述べている(ビオン 1963,p.62)。
 そして続けて痛みと発達との関係について詳細に議論し、これは「一般的に言われている『成長の痛み』という言葉の中にみられるとおりである」と付け加えているが、私のテーマに関連のある点である。~