うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

人形と、今日の日中と【メラニー・クラインによれば、もし、理想的な状態が満たされないなら、悪い対象も同じように幻覚されれ、それが現実のものだけが感じられる悪い幻覚状態のときもある。】


明日のカーグの題材を、親分が職員さんにお願いしたようで、かわいい人形の提供がありました。
親分は簡単にクレクレ言いますので、皆さん注意してくださいね(笑)


 今日の日中は志都呂イオンモールに行きました。
今日は、マウンテン唐揚げ定食を食べられた方が2名いて、一人の方は、まだ足りない様子でした......。
 細いので羨ましい限りです。





 下記は、早めに出勤して、うたたね横のファミマで読んだ箇所です。
マーサ・ハリスの本と、交互に読めば、もっと理解が深まりそうです。
 利用者さんより、一部の職員の方が精神分析的な考えで支持をださないといけないことが多く感じるのは、自分だけでしょうか?
偏った道徳よりも(今、問題になっていますが)この辺りの概念を本当に分かり易く、漫画付きで小学校からやれば、もっときちんとした考え方のできる人が増えるのでは?と一部の職員を見ていてそう思ってしまいます.......。


メラニー・クラインは象徴化が起こらないなら。、自我の発達全体が阻止されるとの結論に到達した。 この見解を私たちが受け入れるなら、象徴化の過程についてのより慎重で新たな研究が進められる。まず第1に、モーリス(1938)に従って、象徴化を三者関係、すなわち、象徴される事象、象徴として機能する事象、そしてその人にとってはあるものがもうひとつのものを表すことになるその人物との間の関係、と見なすことが役に立つと私は思う。心理学用語では、象徴性は自我と対象と象徴との関係である。 象徴形成は自我が対象との関係でかき立てられる不安を処理しようとする自我の活動であり、そして、それは悪い対象への恐れとよい対象が得られないことなしにもしくは失うことへの恐れから、おもにつくり出される。対象との関係での自我の障害は象徴形成の障害に反映される。とくに自我と対象との間での分化の障害は象徴と象徴化される対象との間の分化の障害をもたらし、それによる精神病者に特徴的な思索concrete thinking をもたらす。 象徴形成はとても早い時期に始まる。おそらく対象関係が始まる時期と同じぐらいの時期に始まるが、自我や対象関係の変化とともにその性質や機能を変えていくという象徴の実際の内容のみでなく、象徴が形成され、使用されるそのやり方も自我の発達状態やその対象を取り扱うやり方を正確に反映しているようである。もし、象徴性を三者関係と見るなら、象徴形成の問題は自我の対象との関係のなかで常に検討されねばならない。 対象に対する自我のいくつかの基本態度や対象が象徴形成の過程や象徴性の機能に影響すると思えるその筋道を私は簡略に描き出してみようと思う。ここでの私の記載はメラニー・クライン(1946)の概念である妄想-分裂態勢と抑うつ態勢に基づいている。彼女によれば口愛期の発達は二相に分かれる。早期は精神分裂病疾患群の固着点であり、後期は躁うつ病性疾患群のそれである。私の描写は、必然的にとても図式的になっているのだが、ここでは象徴形成の問題に直接に関連のある点のみを選んで記述することにする。 幼児の最初の対象関係の主な特徴は次のようなものである。対象は理想的によい対象と完璧に悪い対象に分割されて見られる。自我が目ざすことは、よい対象との完全な結合であり、悪い対象とともに自己の悪い部分の完全な壊滅である。万能的な思索はもっと際立っており、現実感覚は途切れがちで不安定である。不在absenceという概念はほとんど存在しない。理想対象と結びついている状態が満たされないときにいつでも体験されるのは、不在ではない。よい対象の反対のもの――悪い対象、もしくは悪い対象群――から激しく襲われていると自我は感じる。フロイトが記載した幻覚による願望充足のときとは、利用することができると感じられる対象を心がつくっているときである。メラニー・クラインによれば、もし、理想的な状態が満たされないなら、悪い対象も同じように幻覚されれ、それが現実のものだけが感じられる悪い幻覚状態のときもある。 この時期の防衛機制は投影同一化である。投影同一化では、空想のなかで主体は主体自身のかなりの部分を対象のなかに投影し、そして、対象はそれが含んでいると感じられているその自己の一部と同一化され始めるなら同様に、内的対象群は外部に投影され、そしてそれらを表すようになる外界の一部と同一化され、これらの最初の投影同一化が象徴形成の過程と始まりである。