うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

菜の花と、【患者が言葉あるいは沈黙を通じてしていることに焦点を当てることで、人格のさらに防衛的で破壊的な分野が機能する仕方を辿り、解釈することができるからである。】

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 今日の日中は、堀切まで菜の花を見に行ったと、写メが送られてきました!お天気が良いのは嬉しいですが、重度の花粉症の人間には辛いですね.......。沢山の人がおられたとのことでした!この時期はまだ、入場料がいる様ですね。いつも偶然入場料の要らない時期に行っていたので、話を聞いてびっくりしました!
 払わずに見て来ただけとの、親分談でした(笑)。外からでも十分堪能できますね!

 

自分は、夜勤明けでしたが、破損させてしまったドラムの中古を買いに行っていました。同じものが売っていて良かったです。

 

 帰宅前に、ファミマで本を読みましたが、ドラムを買って来て、事務処理をお願いしてきて帰ったら、またまたボーとした頭で判断が出来ずに(笑)、夕方までギターでバッハを弾いてていました。なんかバッハの上に皆さん立たせて頂いている様な気がしました。ぼーっとしているので、感覚だけで言っています(笑)。

 

 

 現場では、表出の言語のない方によく会いますが、一緒に過ごしていると何となくお互いが分かってくる時があります。片方だけが分かっていても何も解決しませんが、お互いに、素敵な時間を過ごすことが出来れば、上手く言い表せませんが、これが言いたいんだとか、こうして欲しんだとかが、分かって来ます。直ぐに理解できる方もいれば、何年もかかってお互い分かりあえる方もおられます。

 体を動かしていないと仕事をした感じがしない支援者がいますが、何もしないで、ゆっくりと音楽でも聞いているだけでも、分かりあえる時もあります。焦らないでじっくりとお互いが理解しあえるまで、お互い我慢で、しんどくなる時も(双方が)ありますが、ウィニコットのいう、生き残らなければ何も残すことができないので、何も出来なくてもいいんだくらいの気持ちで最近は待つことが出来るようになりました。ドラマチックなことだけが取り上げられる世の中ですが、何も変わらない日常を過ごせるというのは、どれだけ努力がいるのか?一つの事を真剣に身につけた方しか分からないのかも知れませんね......。

 

 

 ~この章では、患者の言葉によるコミュニケーションと言葉によらないコミュニケーションの仕方および話すことが、どの程度まで「行動化」のひとつの形態として使われていると考えられるかということに、より直接的な焦点が当てられている(ここでは「転移の内部における行動化」という言葉を用いているが、これに続く章ではしばしば「治療内行動化」という言葉が使われている)。この行動化の目的は分析家に影響を与え、ある感情の状態を誘発したり、あるいは分析家に患者の平衡を本質的に妨害しないような仕方で行動するようにプレッシャーをかけたりすることである。患者のコミュニケーションや行動が、自分やセッションの雰囲気に与える影響について気づいていることをどのように使用するかをジョセフは述べている。こうして、患者が言葉あるいは沈黙を通じてしていることに焦点を当てることで、人格のさらに防衛的で破壊的な分野が機能する仕方を辿り、解釈することができるからである。