うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、【患者は言葉だけで表現するのではない。行動も使うしときには言葉と行動を使う。】


今日の日中は女子ばかりで、駅伝の為に交通規制があったので、志都呂のイオンに外食とウィンドウショッピングに出掛けました!
11時過ぎに行ったにもかかわらず、フードコートは超満員!やっと見つけた席に、おっちゃんの鞄を置いてから、皆さんが食べたい物の店に行きました。

 食後、1階と3階のフロアーをウィンドウショッピングしていたら、風船を捻じ曲げてなにやら作っていたので、ももちゃんが貰いに行っていました(笑)
見てるだけでも、捻じったり引っ張ったりで割れそうでヒヤヒヤしてしまいます(笑)りえちゃんは、あいかわらず(笑)怖い!怖い!と言いながら笑っていました。
可愛いですね!

 ちゃっかり者のまりちゃんは、カルディーの無料のコーヒーをもらいに行き、皆さんでちょっと休憩。

 最後に、大きなクリスマスツリーを見て来て帰って来ました。
考えたら、おっちゃんは休みでした(笑)





 本は、その後読みました。
 下記は、愛着障がいを考える上で大切なものだと、クライン派の方々の本を読ませて頂くと、いつもそう思います。
単に、愛着障がいとは?言われても、深くまで説明してくれる本や講座は、あっても一握りですね。こういうことを、今、問題?話題?になっている、道徳の時間にして頂けると(勿論、分かり易く)いじめや虐待が減るのでは?と、真剣に思っています。

『内的対象関係――すなわち、患者の内的世界――は、さまざまな理由で未発達な蒼古的対象群とのかかわりが優勢である。これらの蒼古的対象群は、幼児期や子ども時代にその子どもが自分の多くの諸部分を投影し、次にそれらを取り入れもした対象群である。』



6,解釈:現在における過去
 ルース・リーゼンバーグ・マルコム
 分析の過程はコミュニケーションの過程である。転移のなかで患者は心の世界を体験し再び生きることによって分析家にその世界をコミュニケートする。分析家はこの関係についての自分の理解を患者にコミュニケートし――すなわち、分析家は心的変化を引き起こそうとして、その関係そのものを解釈する。転移は、現在、体験されている患者の分析家との情緒的な関係であり、それは一般に“今、ここで”と呼ばれている。転移は、さまざまに変形された患者の過去の表出である。
 〜はじめに、転移のなかで“転移されている”ものに手短に焦点を当てたい。ストレイチー(1934)は、“神経症者”は人との間で、対象との関わりでの古い様式を繰り返す傾向があること、そして、分析家の専門的な振る舞いによって分析状況が、この様式を理解することだけでなく、それを繰り返しやすくすることをはっきり述べている。
 内的対象関係――すなわち、患者の内的世界――は、さまざまな理由で未発達な蒼古的対象群とのかかわりが優勢である。これらの蒼古的対象群は、幼児期や子ども時代にその子どもが自分の多くの諸部分を投影し、次にそれらを取り入れもした対象群である。それゆえそれらは、もともとの外界の対象とは必ずしも一致していないし、たいして似てもいない。これらの投影物のために、内的対象は歪められている。患者は、幼児期のときと同じようなやり方でそれらに関わり続ける――すなわち、それらは、危険で敵意に満ちているとしばしば認知されている。患者は不安を体験し、それに対して防衛パターンを用いているのだが、患者からは分析家は、患者が対象で認知するまさにそのやり方で認知され、それに従って患者は分析家に反応してくる。

 ジョセフ(1985)は、転移についての私たちの理解を広げ、みがきをかけている。彼女は述べている:



 転移とは……定義上、患者が関係性に持ち込んでくるすべてを含んでいるはずである。患者が持ち込んでくることは、関係性の中で起こっていること、つまり語られていることに伴いあるいはそれを越えて患者がどのように分析家を使っているかに注意を向けることでうまくとらえることができる’(原著のp,447)




  ジョセフの論文からこの引用を選んだのは、私の考えでは、何が解釈の中心であるべきなのかを表現しているからである――すなわち、それは、言語的かつ非言語的な表現での、分析家と患者のいまここでの関係なのである。このことは、“投影同一化”について知ることは分析の素材を理解することの中核であるということである。〜

患者は言葉だけで表現するのではない。行動も使うしときには言葉と行動を使う。分析家との、患者のコミュニケーションを聴き、観察し、感じる。分析家は患者への分析家自身の反応を綿密に調べ、患者の振る舞いが自分に及ぼした影響を理解しようと努め、(それらの反応が分析家自身の人格に由来するものであることに気づいていながら)これを患者からのコミュニケーションとして理解する。統合的に得れたこの理解こそが、患者に解釈として伝えられる。
 この解釈は、今現在の立場から、直接かつ簡潔な語られるべきである。患者に何が起こっているのかを私たちは伝え、次に、それが起こっている理由と考えていることを説明する。すなわち、私たちは関係を展開させておいて、その関係を見つめることに患者を引き入れる。