うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の朝食と、【患者自身は自分の言葉で、活発で変化をもたらすワーク・スルーを行わなければならない。】


 自分が夜勤明けの時には、フレンチトーストにしているのですが、別にそれ用に食材を買ってもらっているわけではないので、ある材料で即興的に作っています。
今朝は9人分で、卵が少なかったので、薄焼き卵を作り、軽くトーストしてマーガリンを塗ってから、薄焼き卵を乗せて、ケチャップを掛けました。
 実家が喫茶店をしていたので、軽食ならなんとか作れます(笑)
自分の分まで卵がなかったので試食はしていませんが、みなさん残さずに食べて下さったので(義理か?w)良かったです。
 少し考えれば、時間も予算も少なくても美味しい物が食べる事ができます。貧乏育ちだからできるのでしょうか?(笑)
副菜は、日中の職員さんが帰る前に作ってくれているので、助かります。


 本は、体を追い込む前に、今日はマックで読みました。
何故か?理由は分かりませんが、集中出来たので、第3部の1章から2章に入りました。
 アップは第2部の最終章からです。

 『言葉は、衝動と充足との間のギャップを認識することに、そして主体と客体の分離を認めることに基づいている。』
は、言葉にできるというのは、主体と客体の分離(主体が立ち上がる)ができるので、自分の言葉で話せる人の話は、納得が出来るのでしょうね。
 他人の良いとこどりばかりしている人の話は、聞いていても腹立たしいだけですものね。そこには勝ち負けや、上下は無いはずです。
少しそれましたが、自由連想的に湧き出た言葉なので書いてみました。(笑)
 その思いが、下記に自分の中では繋がって行きました。
取り敢えず、諦めずに、何度も何度もワーク・スルーを繰り返す気力・体力が必要ですね!

  『簡潔に記すと、患者はE氏がそうしたように、分析家に自分自身に関する自分の見解を告げるうちに、過去と現在を繋げながら、転移と自分の人生と徹底的に関連づけることができる。』

 明日は、カーグとバンドの日です。ギターは、切れた1弦だけ張り替えて、機材は載せ、夜勤明けなので早めに寝ます。




〜終わりに手短に述べると;なぜ言葉はワーク・スルーにおいて特に重要なのであろうか。なにより、言葉の使用は自我の活動である。患者というのは解釈を聴いたりで夢を見たり等するが、しかし自我が積極的に関与するまで――患者が自分の言葉を聴いたり考えたりコミュニケーションするために使うときそうなのだが――患者は分析において受動的な主体であり続ける。そして第2に、言葉は万能感を打ち砕く。乳幼児の万能的な心においては、衝動はそのままの充足の体験である。万能感は常々言語化に敵対するものである。というのも患者が言葉で自分を表現する瞬間、患者は自分の万能感を制限している。――言葉は、衝動と充足との間のギャップを認識することに、そして主体と客体の分離を認めることに基づいている(分離の認識と象徴形成、関連はスィーガルにより詳細に探究された1957)。第3に、言葉は多義的であり、比類のないほどに――言葉はそのために創られており驚くことではないが――心の気づきに適合している。簡潔に記すと、患者はE氏がそうしたように、分析家に自分自身に関する自分の見解を告げるうちに、過去と現在を繋げながら、転移と自分の人生と徹底的に関連づけることができる。




要約
 この論文は、精神分析の経過における分析家と患者間、とりわけ患者自身の中での、コミュニケーション――その様子と変化――を論じている。2つの症例からの臨床素材はそのため患者が分析家に言葉と――より未発達な自己を表すため――投影同一化というメラニー・クラインの見解によって理解し概念化し得た原初的形式で、コミュニケーションすることが必要なさまを描写している。患者が分析家の言葉(変化惹起性解釈)によって、理解されていると感じるにつれ、患者は自分の原初的な関係様式にゆっくりだが気づくようになり、最終的にはコミュニケーションの方法もかわり、彼自身が自分に自分の見解を言葉で表現できるようになる。これは構造の変化と自我発達した回復をもたらすし、これが変化のときである。要するに:変化惹起性解釈はそれだけでは変化の力ではない。変化惹起性は患者を変化する態勢におく。患者自身は自分の言葉で、活発で変化をもたらすワーク・スルーを行わなければならない。