うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ライブハウス・うたたねと【彼はとりつくしまのない死んだようなアパシーの状態にひきこもることによって、手助けとなる解釈やよいセッションを繰り返し攻撃するのであった。】

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 自分が夜勤や、遅番時はうたたねがライブハウスになります!

わいわい、がやがやしているだけでも皆さん、ニコニコですが、そこに無国籍音楽が入ると一層盛り上がります! 沢山笑った後は、皆さんよく眠られます。

 歌ったり、話したりは、嚥下に良いので一石二鳥ですし、皆さんの好みも分かり支援に役立つので、一石三鳥くらいの価値でしょうか?

 

 体位によって無呼吸になられる方が居られる日は、体位依存型なら、とりあえず側臥位ですが、その方の気道確保がしやすい向きを見ながら、体位変換になります。きちんと睡眠が取れた後の顔は、本当にすっきりされています。

 

 

 もう少しで、この本が読み終わりますが、本当に参考にも勉強にもなりました!まだまだ読みたい本がありますが、もう一度、メラニー・クライン トゥデイを読み返そうかな?とも、この本を読んで思いました。

 

 うたたねをライブハウスにするには、意味があり、俗に言う施設顔(下記のアパシーでしょうか?)になって欲しくないので、休日は外食できる時には外食に出、時間があれば楽しい時間を一緒に過ごさせていただき、支援者だけでなく利用者さんたち同士でも立派な内的対象に(良い意味での)なることができ、不穏になられても、すぐに修復できる、薬より凄い効果が遊びの中には沢山あるのですが、アカデミックに言わないと(結局現場ありきなのですが....)振り向いていただけないので(笑)、教養もないのに、ちょっと気取って(笑)、アカデミックに投影とは!(笑)とか言わせて頂いています。

 

 先日、岐阜の友人が言っていた、「自分はこの仕事を、人に誉められたいからやっているのだろうか?」という言葉が最近やけに胸に突き刺さります。

 

 

 

第2部 突破
編者による紹介
 ~これもジョセフが重要な防衛の組み合わせと考えている投影同一視と取り入れ同一化して組み合わせである。対象に対して、特に妻に対して彼がこれを使った時、その結果として現れるのが閉所恐怖症の不安である。彼は幻想の中で口愛的あるいは性器的欲望から妻の内部に侵入したが、そうすると今度は彼女の内部に閉じ込められるという恐怖にとらわれた。うわべだけの礼儀正しさと無関心という形で、時に妻への残酷さとサディズムを示した。彼は彼女の身体と結婚それ自体を、他の形の人間関係に伴う不安を避けるために中に逃げ込むためのものの、たとえて言うならばフェティシュとして扱った。と同時にそれは羨望からサディスティックに妻を攻撃し支配する手段でもあった。
 しかしながら、ジョセフが患者の倒錯的な行動を詳細に到るまで理解できるのは、患者の奥深くに隠されているサディズムが分析関係の中で姿を現し、サディズムの的にされる時であった。患者は残酷さを洗練された形で行使しているとジョセフは認識し始めた。すなわち、彼はとりつくしまのない死んだようなアパシーの状態にひきこもることによって、手助けとなる解釈やよいセッションを繰り返し攻撃するのであった。分析家が欲し、必要としているものはお預けを食わされるのであるが、それは微妙に残酷で人を苦しめるような興奮した仕方でなされるのであった。これについてジョセフは以下のように述べている。

 

 私たちがあり得る限りでもっとも静かなやり方でサド-マゾ的な関係の中に閉じ込められていること、その関係の中で私は興奮し痛めつけられるようになっていること、彼にとっては、この満足を諦めて女性であり分析家である私や自分の分析の素材と本当の関係を結ぶことは、自分の重苦しい沈黙、言葉、理論の中にひきこもることよりはるかに難しいこと、彼の重苦しい沈黙、言葉、理論は彼が接触から逃れてひきこもることができるゴムフェティシュとして実際に使われていると考えられることなどを示した(p.80)。~