うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

おまんじゅうと【彼は、患者の最も残酷で道徳的な自己批判に同意することによって、患者の超自我に意図的に同一化しようとした。このやり方で彼は、以前にはできなかった患者とのコンタクトを確立した。】


 今日は夜勤ですが、昨日緊急のショートを自分が受けたので、昨夜に引き続き、早番(少し遅いw)に入らせて頂きました。
9時からは、うたたねの主任クラスが入っていたので、愚痴を聞いて頂いたり、相談をさせてもらったりしました。
 うたたねも、もうすぐ7年目に入るので、もっともっときちんとした支援が出来るように、職員の教育が出来るようにするにはどうしたらよいのか?等々話し合いました。
皆さん忙しく、最後まで話し合う事ができなかったので、主任会議を近々することになりました。
 それなりの事業規模になってきたので、それなりの支援をしていかないといけないと思っていますので、良い機会になりそうです。
誕生日なので?(笑)おまんじゅうを頂きました。

 今日も、昼食時も本を読みました。
精神分析だけに拘らない人間には(理解していない)、ウェクスラー等のやり方のどこが間違っているのか?よくわかりませんが、本当にその方にあった支援だったら(きちんと勉強しての話は当たり前ですが)それで良いのでは?とも思いました。


 なんやかんやしているうちに、夜勤の時間が迫って来ました。

夜勤をしていたら、一番初めに働いていた施設で、3年間担当をさせていただいた方から、誕生日のメールを頂きました!
辞めて10数年経つのに、素直にうれしかったです。


ウェクスラーは、蒼古的方法超自我の重要性を十分に認識してはいたが、臨床アプローチにおいては精神分析から著しく逸脱していた。彼は転移状況を分析しようとしなかった。彼は、患者の最も残酷で道徳的な自己批判に同意することによって、患者の超自我に意図的に同一化しようとした。このやり方で彼は、以前にはできなかった患者とのコンタクトを確立した。治療は、治療者がコントロールし、禁止する人の役割をとっている限り続いた(たとえば、彼は、治療関係を混乱させそうな性的あるいは攻撃的挑発をすべて患者に禁止した)。ウェクスラーは、自分が患者にとても友好ですに元気づけする風に振舞いもすることをはっきり明らかにしていた。 ウェクスラーのやり方によって助けられた患者は、精神病院に5年間入院していた精神分裂病の女性であった。彼のアプローチの理論背景は、患者の超自我に同一化しようとする治療者の試みにある。このようにして患者とのコンタクトをつけるや否や、彼は最初の課題に成功したと感じ、彼(治療者)はそれからコントロールはするが、親しみのある超自我として振舞い始める。このようにして申し分のない超自我と自我コントロールがしだいに確立され、それによって精神分裂病の急性期が終わると彼は主張する。 ローゼン(1946)は、女性の患者がつかんでいたタバコを落とすように彼女に言うことによって、コントロールする人の役割をとった。彼はまた身体的にも彼女をコントロールし、カウチが静かに横たわり動かないように彼女に命じた。しかし、そのセッションの終わりには態度を変えて、「私は今あなたのお母さんです。あなたのしたいことは何でもしていいですよ」と言った。ウェクスラーとローゼンの症例では、その特別なアプローチが、直接のコントロールと元気づけによる精神分裂病超自我の修正を狙っているということが明らかである。ウェクスラーは、精神分裂病患者の治療にナイトとヘイワードが成功したのは、超自我コントロールを彼らが引き継いだためでもあったに違いないと示唆している。友好的な元気づけを用いるこれらの全ての方法には、同様の目的、つまり、超自我の修正という目的がある、と言えそうである。 実際、この批判的展望からは、これらの精神療法的方法全ては超自我の直接の修正をめざしているように思える。しかし私は、私が引用した研究者の中で、彼らが急性精神分裂病患者に精神分析によってアプローチしたかどうか、もしそうであるならどうして失敗したか、を明らかにしている人は今のところ誰もいないということをつけ加えなければならない。