うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ひーひー王子と、今日のうたたねと、【操作の中で見えてくるのは、自己の望ましくない部分と対象の迫害する部分が、その激しさを弱めるために絶えずスプリットされ、さまざまな対象へと投影されていくさまである。】

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 今日は、遅番で午前中は、ギターのスケールの練習をしていました。

朝、ひーひー王子の散歩に行こうと外に出ても、ひーひー王子が出来ないので、覗きに行ったら、まだ寝ていました。いつもよりは少し早い時間だったので、彼的にはこんなに早くは来ないだろうと思っていたのかも知れませんね(笑)。

 

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 今日は月曜日なので、ホームの皆さんが全員揃い、ショートさんもいて、女性以外の男性の入浴介助に入らせて頂きました。やはり現場が一番ですね!自分たちの仕事の重要な事の一つに、偽りの自己を、剥がす?ことがあると思われます。それには一緒に入浴したり、食事をしたり、一番大事な遊びをしたり、ローゼンフェルト(フィレンッイでした)だったでしょうか?関係を適温にする必要があったり、スターンの言う、情動調律などを行う必要がありますが、それを行うには、確か、中井久夫先生が書かれていたと思われますが、ある社会学?人類学?の方が、ゴリラの生活を見たいと思って、ゴリラがいる森に行ったが、ゴリラのいる気配がなかったので、自分がその森と一体化した時に、ゴリラが現れて来たと言うような記述がありましたが、それは勿論、人間にも当てはまると言いたかったのでしょう。中井久夫先生は、沢山の卓越した言葉を残されていますが、その中でも、『医師が立派に見えると、患者さんの存在が薄くなり、治りにくい』というような記述もありました。岡倉天心先生が言われた、人間は、目で見るより、耳で見る』という事にも共通するのではないだろうかとも感じます。

 ブランドだけで選ぶ人が世間の大半かも知れませんね(笑)、あえて笑わせて頂きました。本当に的を得た勉強をされて来られた方は、物の本質に迫ることが出来るし、本当に大切なものが分かるのではないでしょうか?

 矢沢栄吉さんが、日本の音楽は外国の真似だとも言っておられました。精神分析の本を読ませて頂いても、だれだれの理論とは言っていても、ウィニコットを何冊か読ませて頂くと、同じことを書いていないのか?と、他の本や著者でも感じる事が多いです。

 ニュートンが言ったように、自分たちは先人の肩の上に乗っているのだから、そこから物が考えられるようなことも確か言っていたはずです。その為に引用先をはっきりさせないといけないのですが、東京オリンピックのロゴの問題でも、一流企業で働いていた方が、最初は採用されて、やり直した結果、本物の作家さんのものが選ばれたと同じように、自分を持っている方が選ばれるべきだし、そような作品を作り出すには、やはりビオンが言う、痛みを乗り越えることができないと、その域には達することができませんね。

 

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 写真と写真の間が長くなってしまいましたが(笑)、こちらは、昨日のカーグとバンドクラブの写真を編集して、頂いたホワイトボードに掲示させて頂きました!掲示スペースが広くなったので、沢山掲示できますので、みなさんも思いのたけを掲示して頂けたらとも思っています。忙中閑ありです!それがないと、本当の支援もできませんね。



 

  もうすっかりファミマでの読書がルーチンになり(笑)、レジに並ぶとコーヒーのカップを出してくれる店舗もできました。それは、少しくらいなら、長くいてもいいと了承を得ることができたのでしょうか?こんな小さなことさえ嬉しく思えるのは、自分には良い傾向なのかも知れません。精神的に安定しているという意味で。

 

 ベティ・ジョセフの本が中々読み終えることが出来ませんが、悪い頭でも、何回か読み直すと何とか理解できた様な気になれるのが嬉しいですね(笑)。でも、本当に勉強になります!

 知的に障がいをお持ちの方が、バリントの言う、基底欠水準だとしたなら、乳幼児の精神分析が役に立つと思われるし、そう思ってクラインやその後継者の著書は、現場に沿っている感じがしています。基底欠損水準がレベルの低いとか、高いとかではなくて、クラインの妄想ー分裂ポジション等のように、その方の今の状態を知る上での目安として使いやすいと思います。数学のように(算数か?)正解は一つでないので、応用が付きまといますが、例えばタスティンを読んでもはっきりした答えがない!と言われる方は、日々ご自身の現場をどう見て、どう考えているのか?ということになります。

 答えは結局は現場にしかなく、沢山学んできたもののを基礎として、その上にしか答えは見つかりません。表面だけしか見ていないし、日々努力していない結果がそういう言い訳になってしまうのではないでしょうか?長く且つ、ジジくさくなってしまいました(笑)。

 

 

 その方の為になりたい、そういう事を口に出される方、出されなくてもされて居られる方がいます。口に出される方は、今までの経験上偽善的傾向が多い方のように見えます。

 

 資料を作りながらある方の主題を考えていたら、支援者が過剰に投影されない、また投影されていると言う事をいち早く察知し、それを理解した上で逆に同一化して、その方が安心・安全感を持てるようになれば、徐々に離れていく作業を完了させなければ、その方に本当の安心・安全感を与え、生き辛さを軽減することが出来ません。

 重度の(強度行動障害をお持ちの)自閉症の方でも、安心・安全感を感じることが出来れば、落ち着くことができていますし、ウィニコットの言う、一人でいれる能力というのは、生活を見させて頂いていると、特に睡眠に移る時に非常に大事な考えだと思います。長くなりすぎたのでこれくらいにしておきます(笑)。

 

  ~この憎しみと、それから生じる罪悪感と抑うつを伴うアンビヴァレンスが過去のどこかで彼らの原初的対象に大きなダメージをもたらし、本質的にその対象は危険な状態の中にあるが、そのことに直面することはできないという無意識の確信をもっているからである。

 ~防衛のこの組み合わせを要約すると、これらの患者は依存的で要求がましい部分を分裂排除しながら自己をスプリットさせる。当然その分裂排除された部分は、羨望し、憎む部分と同様よい部分もたくさん含んでいる。そしてこの分裂排除された部分を彼らの対象に投影する。しかし同時にその対象は、私が述べてきたように、自己の悪く望ましくない部分を迫害する部分と、理想化された部分とにスプリットする。操作の中で見えてくるのは、自己の望ましくない部分と対象の迫害する部分が、その激しさを弱めるために絶えずスプリットされ、さまざまな対象へと投影されていくさまである。同時に、理想化された対象は取り入れられ、完全に食い尽くされて、患者は全くそれと同一化し、その結果対象は外的にも内的にも別個の存在を維持できなくなる。