うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

6弦が切れたと、【関係が密接になればなるほど潜在的に依存は大きくなる。】

 

f:id:ka-gu:20190225223911j:plain

   何故か?ギターのせいか?弦のせいか?弾き方のせいか?このギターは太い方の弦がよく切れます。まあ、無駄に力んでいるのは否めませんが.......。

  トライアドの重要性が、この歳になってやっと分かりました(笑)。T-BONE ・WALKERを久し振りに弾いたら、トライアドがふんだんに使われていました。こちらでも知識のなさを露呈しましたね.......。結局は、メジャースケールとトライアドが重要なのですね!と、マイナーペンタしか知らない身には、新鮮でした!

 

 

f:id:ka-gu:20190226215609j:plain

 良く行く、コンビニのハンドタオルです。手触りが良いので、施設にと思いましたが、高いと却下されました.........。コンビニさんも大変ですね!

 まあ、楽な商売はありません......。

 

 

 今日はお休みを頂いていましたが、お昼前に碧南から、副理事長が来てくれたので、一緒に会食をしました。いろんな報告や、指導・相談を受けたり、したりで、有意義な一日でした。

 変わらないでいられる、平凡な毎日を過ごせるには、やはり、福岡伸一先生が言われるように、変わらないために、変り続けるしかないのでしょうか?

 支援にしても、同じ方に昨日はうまくいったのに、今日は全く効果がないことが、多々あります。そんな時には、支援方法の再構築を行うのですが、それが素早く手数が沢山あって、少しずつ試してみて(勿論、直ぐに結果が出ないこともありますが、何となく近い将来にはできそうな予感がするものは、しばらく継続させて頂いています。)、これがだめなら、こっちかな?と、させて頂くには、経験は勿論ですが、自分の中に色んなパターンが必要です。利用者さんも、支援させていただく側も、人間なので相性と言うものもありますが、まずは、安心・安全感を感じていただくことだと思っています。自分も、急になんか弾いてって言われても、適当には弾けますが、自分が毎日弾いているギターや、心の準備、そして環境の設定がきちんと揃っていなければ、能力を出すことができないのと同じように、その方に安心・安全感を持っていただいてからでないと、色々な支援方法を行っても、効果が現れても、ほんの刹那だけだと思われます。

 そして、良くありがちなのは、下記にもありますように、関係を密接にしてしまうということです。日中の支援だけならまだ、その時間を過ごせばいいだけでしょうが、生活全般を見させて頂くというのは、命を預かっているといっても過言ではないと思います。朝、起床時から顔相をきちんと見せて頂いたり、普段通りの発声、表情、動きなども見させて頂き、何かが違えば少し話してみるとか、こちらから何らかのアクションを起こしていく必要がありますが、仕事に追われて(夜勤の前後が一番忙しい時間帯ですね!)、みなさんの様子をよく見れないと、身体だけでなく、心のケアもおろそかになってしまうので、自分は色んなことを話しかけさせて頂きながら、その反応を見ています。発語がない方には、特に細心の注意を払わないと、難しいですね。

 お腹が痛いとか、言えなかったらどのように、訴えてもらえるか?言葉がなくても、安心・安全感があれば、何らかの形での反応が見られます。その時には腹痛とは思わなくても。病院の診察・検査などで後から分かる事も多々あります。

 そんなの当たり前!って言われそうですが(笑)、その当たり前が出来ていない方が多いのも事実ですね.......。

 話が途中から逸れてしまいましたが、私しか見れないからというのは、一番やってはいけないことだと思います。支援が困難な方もおられますが、まずは出来る方から行って、落ち着いて来られたらその方は徐々に離れていくということをしないと、お互いに成長することができません。子離れできない親のように感じる支援が多いのも事実ですね........。最終的には、心的対象を増やすことだと思っています。

 

 

 

  ~関係が密接になればなるほど潜在的に依存は大きくなる。しかし更に、関係が密接になればなるほど自己のさまざまな分裂排除された部分が、たとえばパートナーのような近い人物に投影されてしまう度合いが大きくなり、パートナーと密接に付き合うことによって患者は必然的に彼自身の自己と、というよりむしろあれほどまでにも懸命に追い出した自己の望ましくない部分と密接に付き合わなければならなくなるーーそれらは結局総て1人の人物に集まることになり、その人物は当然脅威的な存在と感じられる。

 

 

  ~反復強迫の患者たちが自分たちの生活をあのように大勢の人びとで満たさなければならない主な理由の1つが、親密さを避けようということの欲求であると私は考える。この大勢の人びとは患者たちの感情の担い手として機能するだけではなく、患者たちと彼らの対象の間の障壁としても機能する。多少ともアンビヴァレンスに耐える力をもっている患者たちと違って、これら反復強迫の患者たちは孤独よりも親密さにより苦しむのである。孤独は寝坊やいろいろな形の活動や否認によって避けうるが、親密さはそうはいかない。