うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ポリヴェーガル理論ショック(笑)と、【こうした自己/他者同類性(自己/他者の一致ではなく)という特別な体験における陰性の親近感には、耐えられないほど侵襲的な何かがあります。しかし、この陰性の親近感は、中核かかわり合いの領域での乳児には起こってはいないでしょう。】


 ポリヴェーガル理論入門を読んだら、何か他の本が一瞬嘘くさくなり(笑)、読む気をなくした途端、身体の不調が現れ、久しぶりにダウンしてしまいました。水曜日から復帰したかったのですが、うたたね管理者兼看護師にストップをかけられ(笑)、今日からの復帰となりましたが、夜勤を代わってくれると、遅番さんが言ってくれたので、中抜け勤務で、先程、上がらせて頂きました。
 インフルエンザが猛威を振るっていますので、みなさんも体を冷やさないようにして下さいね!
うたたねでも最後の最後に出してしまい、申し訳なく思っていますが、きちんと発表して、断らさせて頂くのも、自分たちの大事な仕事だと思っています。
 職員さんみんなで助け合って、なんとか今年も終わろうとしていますが、今年は、インフルエンザでご本人ではなく、高齢のご両親が大変なことになり1月に介入させて頂き、何とか職員全員の力で、入院や福祉サービスに繋げることができ、その案件は無事に解決できました。
 最後にホームの方のインフルエンザ.......。豊橋の日中の事業所さんで閉鎖されたところもあると、利用者さんのお母さんが言っておられました。数年に一度の寒気とか.....。12月なのに夏日になったり、それじゃ体も持ちませんね.....。
 事情がありPCでの更新が出来なかったので、携帯でとも思いましたが、操作が面倒なので諦めていたら(笑)1週間放置してしまっていました。まあ、見て下さる方もいないのでいいか(笑)と思いながらも個人的には気になっていたので、こちらも復帰できて良かったです!
 違う本に入りました。2冊きて、どちらから先に読もうかな?って中抜け時、サウナとお風呂だけと思って行った、ジムで、ついつい体を追い込んでいました(笑)。遅番まで時間があったので、2冊とも少しずつ読ませて頂きましたが、どちらも甲乙つけがたく悩んだままです(笑)。
 『心的変化を求めて』は、クラインやフロイトを軸にエナクメントと言う、新しい目線でクライン派の理論を扱っている様だし、『動きが脳を変える』は、ポリヴェーガル理論と重なるところがあるきがしたし、取り敢えず、正月中には、2冊とも読んでしまいそうですが(笑)、『動きが脳を変える』から読む事にします。


 前置きが、久しぶりなので長くなりましたが(笑)、まだスターンの復習でした。こちらからポリヴェーガルに入ったので、中々離れられません。




 障がいをお持ちの方々の支援を考えるに当たり、下記の3つは重要なことだと、自分は思います。
まだ上記にある、エナクメントという言葉を使うのは、ここでは早い気がしますが、転移・逆転移とか、落ち着いてはいるが何か違うな?とかの気づきが、支援者側になければいけないけれど(きちんとした支援ができない・下記にあるような、、耐えられないほど侵襲的な何かがあります。)、
 『否定的な面をみてみると、見つめ合い、顔や姿勢の真似、“陰でのおしゃべり”を用い、子どもは仲間や大人をひどく怒らせようとします。こうした自己/他者同類性(自己/他者の一致ではなく)という特別な体験における陰性の親近感には、耐えられないほど侵襲的な何かがあります。。』




 障がいをお持ちの方々が、基底欠損レベルにあるのなら、下記のように感じないので、お互いまだ救いようがあるのかも知れませんが、
 『しかし、この陰性の親近感は、中核かかわり合いの領域での乳児には起こってはいないでしょう。』




 徐々に下記のような状態に持って行かせて頂くのが、自分たちの仕事のように感じています。
 『それが起こるには、意図をもつ他者の心愛が存分という前提が必要であり、後になった間主観的かかわり合いの領域が開かれて初めて意味をもつようになるのです。』







主観的体験としての他者と共にある自己
 原注3)自己/他者同類性の瞬間は、覚醒レベルの互い時起こり、一生涯を通じ、善かれ悪しかれ、強い連続感、同一感、親近感を確立する能力を保ち続けます。恋人同士は、互いに似たように振舞い、宮廷舞踏のように、ほぼ同時。くっついたり離れたりする傾向にあります。2派に分かれた政治討論では、同意見の人同士が、同じような姿勢をとります(Scheflin 1974)。母親と乳児は、共に幸せで興奮している時、一緒に声をあげる傾向にあるでしょう。こうした例は今まで、共行動、合唱、マッチング、物真似などといった、いくつか別の呼称で呼ばれてきました(S. et al.1975;Schaffer 1977)。 否定的な面をみてみると、見つめ合い、顔や姿勢の真似、“陰でのおしゃべり”を用い、子どもは仲間や大人をひどく怒らせようとします。こうした自己/他者同類性(自己/他者の一致ではなく)という特別な体験における陰性の親近感には、耐えられないほど侵襲的な何かがあります。しかし、この陰性の親近感は、中核かかわり合いの領域での乳児には起こってはいないでしょう。それが起こるには、意図をもつ他者の心愛が存分という前提が必要であり、後になった間主観的かかわり合いの領域が開かれて初めて意味をもつようになるのです。