うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

人工物と自然と、【つまり、注意の的を共有する能力、意図や動機が他者のものであることがわかり、それを正しく理解する能力、他者にも感情状態が存在するとわかり、他者の感情状態が自分のそれと調和しているかどうか感じる能力などを含みます。】


 今日も早番で、朝焼けがきれいでした!
人工物と自然との取り合わせに、なぜか心がときめきます(笑)。
 対極的な物が合わさると、なんとも言えない、そこまで両極同士が合わさると、逆に嬉しくなるのは、自分だけでしょうか?





 本は、浜松まで通院介助の待ち時間に少し読んだら、読み終わりました!アップはまだ続きますが、明日は早朝から名古屋なので、2冊目のスターンが、電車で沢山読めそうです。 



 赤ちゃんが、母親にも自分の人生がある、ということが分かるのが、他者を認めた時点だと、他の本で読んだ気がしますが、定かではありません(笑)。下記は、それと同じようなことを言っているように感じました。
 支援者にも支援者の人生や生活があるということを、利用者さんにも分かって頂ければ、それが一つのけじめのつけ方ではないでしょうか?勿論、正しいと思われるけじめのつけ方も沢山あります。




 下記は、現在は発達障害に含まれた、自閉症アスペルガーの方々のもっとも苦手なところでしょうがタスティン先生、アルバレズ先生、M.リトル先生などが、毅然とした態度で分析に臨んだのも、けじめのつけかたで、そのやり方を、ある場面では行使しないと、その方々のためにならないことが多いですね。親御さんには中々できませんが.......。
 『つまり、注意の的を共有する能力、意図や動機が他者のものであることがわかり、それを正しく理解する能力、他者にも感情状態が存在するとわかり、他者の感情状態が自分のそれと調和しているかどうか感じる能力などを含みます。』




  〜これは、自己−と−他者に関し、オーガナイゼーションを促す主観的あの可能性が1つにすぎません。生後7ヵ月から9ヵ月には、第2の、オーガナイゼーションを促す主観的見通しが発達し始めます。それは、乳児が、自分自身の心だけでなく、他者の心というものもあることを“発見する”時に起こります。自己と他者はもうただの身体的存在、行為、情動、連続性の中核的単位というだけのものではありません。今や、中核かかわり合いの領域では、身体的事象の背後に隠れていた主観的精神状態、つまり、感情、動機、意図を含むようになるのです。この新しい、オーガナイゼーションを促す見通しは、質的に異なる自己と他者を定義します。そして新しい自己と他者は、目に見える行動を起こしてくる、目には見えないけれども推論できる精神状態(意図や情緒)を“心にとめる”ことができるようになるのです。このような精神状態が、その時点からかかわり合いの領域ーー間主観的かかわり合いの領域ーーで作用します。それは中核かかわり合いの領域を越える一足飛び的な成長です。そうなると、二人の間の精神状態は、“読んだり”、調和したり、提携したり、波長が合ったり(あるいは、読み違えたり、調和しなかったり、提携しなかったり、波長がずれたり)することができるようになります。かかわり合いの性質が劇的に広がったのです。ここで注意すべき大切なことは、間主観的かかわり合いの領域も、中核かかわり合いの領域同様、意識されることなく、また言葉で表現されることがないまま進んでゆくことです。事実、間主観的かかわり合いの体験は、中核かかわり合いの体験と同様、ただそうであろうと言えるだけで、実際には記述することはできません(もっとも、詩人ならそれを喚起することはできますが)。 主観的自己感や主観的他者感は、中核自己に必要だった能力とは違う能力に基づいています。つまり、注意の的を共有する能力、意図や動機が他者のものであることがわかり、それを正しく理解する能力、他者にも感情状態が存在するとわかり、他者の感情状態が自分のそれと調和しているかどうか感じる能力などを含みます。