うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

年末チャリティーの搬入と展示と、今日の散歩と、【彼らは徐々に、そして系統的に、これらの体験要素に、自己−不変要素の群を同定するための秩序を与えていきます。そして何かまとまりが形成される時はいつでも、乳児はオーガナイゼーションの新生を体験するのです。】


明日から始まる、神戸館チャリティーの搬入と、アトリエ・カーグ展の搬出を同時にやって来ました。
今年は、ダメかも知れないと、長澤さんご夫婦が心配そうに言われていましたが、こちらとしては、やって頂けるだけで感謝です!
 本当にありがとうございます!
 ご利用者さんの御家族からの出展も沢山あり、本当に感謝しています。
バザーは、3日の9時から搬入しますので、こちらもお楽しみにして下さいね!こちらもご家族の皆さんや、職員さんからも沢山頂いています。重ねてありがとうございます!




 今日は、自分は休みで、チャリティーの準備などで一日が終わりましたが、散歩に行った職員から写真が送られてきました。
今日も沢山歩いたようです。個人的には、毎週としちゃんと沢山歩きたいです。



 肩こりがあまりにも酷く、ロキソニンを服用しても治らないので、夕方、久し振りにジムに行って、入念にストレッチと、軽く筋トレをして来ました。
 マッチョにはなりたくはないですが、少し先のことと、身体の方の入浴介助で一番使う脚には、165kgの負荷をかけて鍛えています(笑)。
関節が柔らかいだけだと、脱臼しやすくなるので、適度な筋力も必要ですね!
 そしたら、肩こりが楽になり、ロキソニンを飲みたいという気持ちもなくなりました(笑)。単に運動不足だっただけでしょうか?
帰宅して、ギターのスケールをなぞっていても、肩は凝りませんでした。時々、ジムに行かないといけないですね!




 言語有害論というのを、神田橋先生が言われていたのを思い出すことが最近多くて(笑)、改めて、言語の力というのを感じてしまいます。
勇気づけられることも沢山ありますが、その逆も沢山ありますね........。





 バラバラな物を、まとめ上げる。例えば、乱れた生活リズムを、規則正しくするというもの、まとめあげると言うことでしょうか?
きっとそうと思います。生活が整うと言う事は、身体的にも、精神的にも落ち着きを取り戻すので、新しい何かが生まれるといっても過言では無い様な気もします。
 『そして何かまとまりが形成される時はいつでも、乳児はオーガナイゼーションの新生を体験するのです。』



 岡倉天心先生は、日常生活がアートだと言っていました。それを思いながら上記と下記を読み込むと、やはり生活が整うこと、何気ない日常がどんなに大切なのかが、分かるように思われます。季節も変わるし、自分を取り巻く環境も日々変わるし、変化するのが日常なので、無意識の裡に、それに対処していて、それが連綿と続いているからこそ、学習の成果が出るし、それを基にして、創造性が生まれるのではないのか?とも思います。
 『あらゆる学習とあらゆる創造的行為は、新生かかわり合いの領域に始まります。この領域のみが、創造と学習の中心であるオーガナイゼーションが生まれ出ずる過程にかかわっています。この体験の領域は、それに続くおのおのの自己感の形成期間中、活発であり続けます。』



 なんか、眠たいな〜って思っていたら、6時に現場に入ったこと思い出しました(笑)。休みでしたが(笑)。大きなお世話人なんで(笑)。




  〜これは、Spitz(1959)やWerner(1948)などが、総括的、全身感覚的体験について述べた際に心に留めていたことです。しかし、抽象的で総括的な体験の特性を蒸留し、オーガナイズするという、乳児のもっととてつもない能力の広がりについては、彼らがその定式化を試みた段階ではまだ認識されていませんでした。体験のうち抽象化できる特性の打ち寄せる波の中にあって、乳児は海にはまったりはしませんでした。彼らは徐々に、そして系統的に、これらの体験要素に、自己−不変要素の群を同定するための秩序を与えていきます。そして何かまとまりが形成される時はいつでも、乳児はオーガナイゼーションの新生を体験するのです。これらの新生オーガナイゼーションを作り上げる要素は、大人の主観的単位とはおよそ違っています。大抵の場合大人は、体験を言語として登録するため、それに沿った用語に翻訳しなくてはならないからです。 この新生しつつあるオーガナイゼーションという総括的な主観的世界が、人間の主観の基本的領域であり、そうあり続けます。それが後日、思考、知覚された形態、同定され得る行為そして言語化された感情を生む体験の母体となるものの、この時点でその意識はありません。それはまた、出来事に対する継時的情動評価の源泉としても働きます。そして最後に、それはすべての創造的体験をすくい上げることのできる終局的な容器なのです。 あらゆる学習とあらゆる創造的行為は、新生かかわり合いの領域に始まります。この領域のみが、創造と学習の中心であるオーガナイゼーションが生まれ出ずる過程にかかわっています。この体験の領域は、それに続くおのおのの自己感の形成期間中、活発であり続けます。後になって新生してくる自己感は、オーガナイゼーションを促す過程の産物です。それらは、身体的、動作的、主観的自己、そして言語的自己に関する真の包括的見通しです。これらの見通しのおのおのの形作る過程、そして自己や他者の性質に化かかわる創造的行為が、新生自己感の起こってくる過程です。そしてそれは、他の自己感のおのおのの形作る過程でも体験されることになります。