うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ギャラリー・クーカさんと、【しかし、もしこのことが、何か不幸のため、見知らぬ環境に置かれてしまうことにでもなれば、たとえその環境がどんなに彼にこの上なく友好的であったとしても、何か相容れない、敵意に満ちたものというさえ体験されることでしょう。】


 写真は、鎌倉で買ってきた注連縄です。
根がついているので、びっくりしました。能書きを読ませて頂くと、良いことが沢山書いてあったので、奮発してもらいました!
 来年も、皆さんにとって、良い年になるように!との願いからですが。


 バタバタした中で、平塚のギャラリー・クーカさんのことを、ココアさんって紹介してしまい、申し訳ありませんでした!





 素敵な作品と商品が沢山あり、一日いても個人的には飽きなさそうでした。時間に制限があったので、直ぐに秦野市に移動し、その日は合わりました。

 紅茶の美味しいお店が、中々ないのですが、クーカさんのアールグレイは、リップサービスなしに美味しかったです。
持ち金があまりなく、小さい物しか購入できませんでしたが、アイコさんの絵が、次回は買えたらな〜と思っています。

 取り敢えず、お金を降ろしに銀行に向かっていたら、おそらく代表の方がわざわざ追っかけて下さって、駅の階段や壁にも作品があると教えてくれたので、銀行に寄ってから、平塚駅に向かいました。
 壁には大きな作品がいくつかありましたが、所属がかかれていなかったので、アップは避けました(写真は写させていただきました)。
階段のマッピングは彼ら、彼女らの作品だと確信できたので、人通りの多い中、人が一瞬引けたので、慌てて写させて頂きましたが、下手したら、盗撮だと間違われそうでしたね.......。感動していたので、後になって反省しました......。
 また機会があれば、絶対に行きたい場所です。






 まだ、年内の仕事は残っていますが、体調も皆様の助けのおかげで回復し、明日は今年最後の散歩の日です!
何とか、昨日・今日とジムで身体を追い込み、身体を作れました。
 本は、ジムで追い込んで、お風呂に入ってからソファーに横になって読みました。脳の方ですが、アレクサンダー・テクニークとどう違うんだろう?と、読み進める内に思ってきました。
 本を読んだのもあったり、アレクサンダーで身に着いたものもあって、両腕を前に伸ばして、同じ長さでなかったら、アレクサンダーで教えて頂いたやり方で、同じ長さにしてから、ストレッチを中心に、まめに腕の長さをチェックしながら、ずれたらまた直して、次の動きに映りました。それを2時間くらい続けたら、首の周りの筋肉が少しですが、ほぐれて、首と背中の痛みが大分なくなりました。
 今は、同じ長さです。『動きが脳を変える』に書かれていることも、同じ気がしました。でもこの本を読んだおかげで、より深くアレキサンダー・テクニークに入って行けたように感じました。1月の名古屋は、この本を持って行って、先生と話ができればいいなとも思っています。そこの力みって必要かな?を、感じれるだけでも、身体の疲れ方や、痛みの軽減にもなることを、今日は体現できました。




 アップはまだスターンです。この本からもう2冊目の本の半分を読み終えているので、アップの箇所が、遠い昔のように感じてしまいますが、現在に至るまでには、やはりこの辺りをきちんと学習したから、会得できるものが多い様な気もするので、まだ、敢てスターンの復習をさせて頂いています。この本は、もううたたね文庫の中に納まっていますが.......。






 下記は、同じ環境を続けるのが大事だとは言っていないように感じます。現在の環境がその方に合っていなかったり、その方が無理に合せる努力をされていたり、逆にその環境に無理やり入れられていたときには、徐々に新しい環境に移って行く大事さを教えてくれている感じが自分にはしました。



 どんな形の自己対象を必要とするかが、年齢に応じて違ってくることはさておき、もっと一般的に考えれば、心理的に滋養を与えてくれる自己対象という環境が絶え間なくそこにあることの必要性は、酸素のある環境が生理的に常に必要とされるという状況にたとえられます。この必要性は、通常意識されないものですが、酸素が欠乏したり、あるいは苛酷な世界が空気を吸い込むのに痛みを感じさせるようになると、誰にとっても必要な映し出し反応や、理想化し得る価値のあるものにめぐまれながら、それらを利用することが実際にはないような自分の世界を与えてくれる社会的基盤に安心して浸っていられる限り、人は、また逆説的には、自分の相対的自力本願性、自己−充足性、そして自律性に対し、心地よい充足感を覚えます。しかし、もしこのことが、何か不幸のため、見知らぬ環境に置かれてしまうことにでもなれば、たとえその環境がどんなに彼にこの上なく友好的であったとしても、何か相容れない、敵意に満ちたものというさえ体験されることでしょう。強い自己ですら、このような状況では断片化しやすいものです。人は、群衆の中で最も強い孤独感を味わってます。孤独、つまり心理的孤独は、不安の源泉です(Wolf 1980,p.128)。