うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

散歩と、【ここでいう親密感intimacy,とは、二人の人物の間で起こる、快くさらけ出し合うこと、透過性permeabilityあるいは相互浸透性interpenetrabilityなどといったものです(Himmde 1979)。】


またまた、0時を過ぎてしまったので、アップを諦めました(笑)。
何かしていると、最近、熱中してしまい過ぎて(笑)ダメですね。
 昨日は、金曜日の散歩に当たって、ラッキーでした!
午前中は、寒かったので蔵王山の展望台に、


 午後からは、白谷海浜公園に行きました。
身体を動かすと、芯から温まるので、本当に気持ちが良いですね!


 本は、早めに出て昨日も読みました。ベティ・ジョセフのワークショップの本でしたが、先日、重度の自閉症の方の支援をさせて頂いてから、学者が書いた論文と臨床家が書いた論文の差が、少しだけ分かるようになった気がしました。
 ポリヴェーガル理論は、目から鱗でしたが、自閉症の方に対する記述は、数多くの自閉症の方と同じ時間を過ごしていなくて、スターンの言うところのRIGが少ない中でのRIGSを記述しているだけのように感じました。聴覚過敏といっても、多種多様で、特定の周波数や、自分が着になる言葉や日にちだけの方まで、聴覚過敏と言うのは、何か違うな〜とも思いました。(例えば小さな子どもの声とか、日にちとか)
 聴覚過敏は、ポリヴェーガル理論だけでなく、日常的にもそれだけで済まされている感じがして、その原因を突き止めようともしないで、聴覚過敏?と思う事が多すぎます(笑)。



 下記の2つは、現場で支援をさせて頂いていて、こういう風に出来る機会を逃さないで(丁寧な支援をしていると機会は訪れます)、相手の心の中に、入れそうな時にしかできないことなので、その時には、是非下記の様な雰囲気に持って行きたいものですね。


 『ここでいう親密感intimacy,とは、二人の人物の間で起こる、快くさらけ出し合うこと、透過性permeabilityあるいは相互浸透性interpenetrabilityなどといったものです(Himmde 1979)。つまり、身体的親密感ばかりではなく、人的親密感をもつことが今なら可能なのです。』
 『このように、お互いに主観的体験をさらけ出し合うという意味で、相手のことを知りたいとか、自己のことを相手に知られたいという願望は大きいものです。実際それは強い動機となるでしょう。また“それが必要”だと感じられることもあるので(逆に、心的に知られまいとする気持ちも強く体験されるはずです)。』


 今日は夜勤なので、早めに出てファミマで本を読みます(笑)。





〜自己感にこのように一足飛び的成長が起こると、対人世界はどう違って見えるでしょうか。まず養育者側の共感が、今までとは違った体験となります。たしかに幼い乳児も、潮時を得たなだめの行為など、母親の共感を反映した目に見える行動に反応します。しかし彼らの中では、共感過程自体は無視され、共感的反応だけが登録します。ですから幼い乳児は、共感過程が2つの心のかけ橋となっているとは感じません。それが今や乳児の発達にとりきわめて重要な過程である養育者の共感性が、今や乳児の体験の直接的主題となります。 この段階で初めて、乳児は心的親密感を持つ能力があるとみなせるようになります。ここでいう親密感intimacy,とは、二人の人物の間で起こる、快くさらけ出し合うこと、透過性permeabilityあるいは相互浸透性interpenetrabilityなどといったものです(Himmde 1979)。つまり、身体的親密感ばかりではなく、人的親密感をもつことが今なら可能なのです。このように、お互いに主観的体験をさらけ出し合うという意味で、相手のことを知りたいとか、自己のことを相手に知られたいという願望は大きいものです。実際それは強い動機となるでしょう。また“それが必要”だと感じられることもあるので(逆に、心的に知られまいとする気持ちも強く体験されるはずです)。 最後に、間主観性の出現に伴って、乳児の主観的体験に対する両親の社交性が問題となってきます。主観的体験は共有されるのか。どの程度共有されるのか。どんな主観的体験が共有されるのか。また共有されたりされなかった結果、何が起こるのかがひとたび乳児が間主観的領域に踏み込み、両親もそれに気づくと、両者はこれらの問題を避けて通れなくなります。そこで最終的に問題となるのは、内的体験という個人的世界のどの部分が共有可能で、どの部分は人間一般に共通して認められる体験の領域からはみ出すのかを見きわめることにほかなりません。一方の極は心的な人間界の会員たることであり、他方も極は心的隔離です。