うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の散歩と、うたたね文庫と、【さらに言語により、かかわり合いは言語固有の非個人的抽象レベルへと移り、それ以外のかかわり合いの領域に特有な、個人的、直接的レベルからは遠のいていきます。】


 今日も散歩担当になり、ラッキーでした!
真夏と真冬と雨天時には、いつも利用させて頂いているので、時々ソフトクリームを頂きます。
 売店の方が、遠方から来られたお客さんに、ここで9年働いていますが、冬にこんなに富士山が見えないのは初めてだと言っていました。
そういえばここから富士山が見えたのはいつだったでしょう?としちゃんに、今日も富士山見えないね.....。ばっかり言っている気がしました。

 うたたね文庫に本を入れに行きましたが、この3年くらいでこれくらいしか読めてないのか....と、ちょっと肩を落としましたが(笑)、冊数よりも、どれだけ吸収できたか?ですね!時々読み直さないと忘れてしまいますが、同じ学派の本を読んでいたら、同じことが出ている時は、あっそうだったと思いだし、救われた気になるのも(笑)、事実です......。 


 先程、用事が終わって、ネットのニュースを見たら、こんなニュースが目に入りました!
新薬なのでは?何か心配ですね.....。有料なので、最後まで読めませんでしたが.....。


インフル薬ゾフルーザの耐性ウイルス、患者から検出:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/sp/articles/ASM1S7JJYM1SUBQU01S.html?ref=yahoo





 下記は、単純に神田橋先生の、言語有害論を思い出しましたが、言語も使いようですね。
でも、深刻な状況の場合はそうも言ってられません。
こういう事が頭に入っていれば、適切な支援ができそうな気もして来ますが、みなさん勉強しませんから......。
 うたたね文庫も宝の山ですが......。


第8章 言語自己感
 〜しかし実際言語は、両刃の剣です。言語は私たちの体験を、自分自身の中で、あるいは他者との間で共有しにくいものにしてしまうこともある。言語は、対人間で同時に起こる2つの体験形式、すなわち、生の体験と、言語で表象される体験の間にくさびを打ち込みます。言語とは無関係に続く、新生−、中核−、主観的かかわり合いの領域における体験のうち、言語かかわり合いの領域によって包含されるのはほんの一部です。実際に起こったことがどの程度言語かかわり合いの領域での出来事となるかによって、それ以外の領域での体験は疎外されます(それらの体験の下部領域となるでしょう)。こうして言語は自己体験の分裂を引き起こします。さらに言語により、かかわり合いは言語固有の非個人的抽象レベルへと移り、それ以外のかかわり合いの領域に特有な、個人的、直接的レベルからは遠のいていきます。