うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

スライドギターと、【このように、運動体験ばかりか、情動体験における手がかりを与えられての相起記憶もまた、言語による書き込みという媒体の発達を待たなくても可能なように思われます。別な形の書き込みが行われるのです。】


久し振りに、スライドギターを弾いてみましたが、やっぱり下手くそです(笑)。
何十年も真剣に弾いていなかったので、当たり前ですね。
 オープンGにしたら、気持ちが良かったのがせめてもの慰めでしょうか(笑)。
ブルース・ハープとスライドギターは、若い時から苦手でした......。諦めずにスライドはやってみようかな?って思いました。


 今日は、休みでしたので、午前中に久し振りにジムで体を追い込んで来ましたが、タオルを持って行くのを忘れて(笑)、シャワーやお風呂に入れず帰宅しました....。
 本は、昼食時に読みました。ちょうど、自律神経のところ(迷走神経も)で、精神に障がいをお持ちの方が、季節の変わり目に、調子が悪くなるのは、自律神経が上手くその季節に適応できない、(出来てもゆっくりなので間に合わない)からなのでは?とずっと思っていましたが、それが確信になった気がしました。心身不二ですね!

 下記も、そんな感じがしました。

 『運動体験ばかりか、情動体験における手がかりを与えられての相起記憶もまた、言語による書き込みという媒体の発達を待たなくても可能なように思われます。別な形の書き込みが行われるのです。』

  







人間のあらゆる行動のうち、おそらく情動が、一生涯を通じて最も変化の少ないものと言えるでしょう。生後2ヵ月と乳児が笑ったり、泣いたりするのに使う筋肉は、大人が用いる筋肉と全く同じです。つまり、笑ったり泣いたりした時に起こる固有覚のフィードバックは、生まれてから死ぬまで変わらないのです。そのおかげで、“いくら自分が変わっても、私たちの情緒中核は、発達期間を通じ、私たちの体験の連続性を保証する”のです(Emde 1983,p.1)。しかし、これだけでは、ある情動体験を引き起こす特定の状態を、こんな幼い頃から乳児が覚えていられるのかどうかという質問の答えにはなりません。〜



  〜このように、運動体験ばかりか、情動体験における手がかりを与えられての相起記憶もまた、言語による書き込みという媒体の発達を待たなくても可能なように思われます。別な形の書き込みが行われるのです。これは大部分の精神分析理論家たちにとって、驚くに足らないことでしょう。生まれたその瞬間から、あるいは遅くとも数週間後から、情動記憶というものは存在すると仮定し、かつ、実際に1年目におけるその過程を記述したのは彼らなのですから(McDevitt 1979)。〜