うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、ストレッチ教室と、【情動は自己に属するのであって、それらを誘発した人物に属するのではありません。】


 今日の日中は、2班に分かれました。自分は外食班で、珍しくもう一人職員が配置されていたので助かりました。
自分のトイレを我慢しなければならない時もあるので(笑)。
 クラーク・ケントさんが混じっていませんか?その方に似合うと思うサングラスを試着?してみましたら、皆さん素敵ですね!
食事中に、写真を皆さんと見たら、みなさん納得されていました。素敵です。



 皆さん楽しそうに過ごされ、インフルエンザも流行ってきたので、食事だけで戻りました。






 夕食前に、彦坂先生のストレッチ教室がありました。参加は任意です。
自分も今回は、半分くらいマジで参加させて頂きましたが、真剣にやると、結構筋肉が伸びるし(自分の場合は、背中と首)、一汗かきます。



 まり子さんだけ、特別に見てもらって頂いていました。
結構効いたみたいで、血行が良くなったような顔色になっていました!
気分もすっきりしたようで、良かったです。


 最近、皆さん自主的にステッパーをされています。
マッサージ器も、支援者がいる時だけ、利用して頂いています。
 健康志向になってきて良かったですね!




 本は、早めに出てファミマで(笑)読みました。
ステファン・W・ポージェス著・花丘ちぐさ訳の、ポリヴェーガリル理論入門(心身に変革をおこす「安全」と「絆」)に移っていますが、序に下記の様な文章がありました。

 『〜ポリヴェーガリル理論では、進化の過程で、状況に応じてどの神経回路を用いるかを決定づける能力が形成されたと考える。これは、社会的な行動と二つです自己防衛反応、つまり「闘争/逃走反応」を引き起こす可動化〔交感神経の活性化とともに心拍数が上昇し、随意に機敏な行動がとれる状態になること〕、さらに身を隠したり、死を装う不動状態であると哺乳類にとって系統発生学的にもっとも新しい回路は、顔と心臓を制御する神経を接続させることで、社会的行動をとることを可能にしている。顔と頭の横紋筋の神経的調整は、心臓の神経的調整と神経生理学的に関連しあっている。ポリヴェーガリル理論によると、人間やその他の社会交流システムを持っている哺乳類は、顔と心臓が神経的につながっており、表情と声の調子で「安全かどうか」を角煮したり投影したのする。この表情と声の調子は、自律神経の状態に伴って変化する。つまりポリヴェーガリル理論では、私たちは相手がどのように見て、聞いて、声を出すかということで、その人に接近しても安全かどうかを判断すると考える。〜』
 下記に直結している様な感じがしますね!

 改めて、当施設は『安心・安全』感をどうすれば得て頂けるのか?をまず最初に考えてから、その方々にあった支援方法を考えていくというやり方は、間違っていないと思いました。



 下記は、大事なことだと、現場にいてそう思います。だから逆に、自分が怒ったり、泣いたり、感動したりしないと(リトル先生のいう、まずは身体記憶)自分の中に入って行かないのだと思います。バーチャルではなくて、現実としての体験ですね!
 『情動は自己に属するのであって、それらを誘発した人物に属するのではありません。』





自己−情動性
 情動は、比較的永続性があるため、優れた高次レベルの自己−不変要素と言えます。つまり個々の情緒とオーガナイゼーションや表現型は、生得的なデザインによってかなり決まっており、発達を通してあまり変化しません(Izard 1977)。そのため顔の表情(顔の筋肉からの固有覚的フィールドバック)は、それぞれ不連続な情動における顔の各部分の全体的な配置で決まる外形の不変要素となります。もしEkmanら(1983)の予備所見が確証されるなら、少なくとも大人では、それぞれの情動が、特異的な自律神経系の発火を起こし、それが内的感情の独特な組み合わせを生むことになります。どんな主観的感情が起こるかは、おのおのの情緒によって決まります。ですから、おのおのの情緒ごとに、上に述べた3つの自己−不変的事象間の、不変的協調が起こるのです。 それぞれの情緒が個別にもつ自己−不変要素の組み合わせは、どの乳児でも、さまざまな文脈で、しかもいろいろな人物との間で起こるのがふつうです。ママにあやされる、おばあちゃんにくすぐられる、パパに宙に投げ上げられる、ベビーシッターが音をたてる、おじさんが操り人形を使ってお話するなどは、すべて喜びとして体験されるでしょう。これら5つの“喜び”に共通しているのは、3種類のフィードバックの組み合わせです。さまざまな文脈の中で、しかも誰と交流するかにかかわらず、なお不変要素として残るのは、この組み合わせです。情動は自己に属するのであって、それらを誘発した人物に属するのではありません。