うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

お茶屋さんの鉄瓶と、【Freudにとって快楽的基調は、Piagetにとっての自己−生成された行為と同じです。両者とも、精神現象としての知覚を“作り出し”、これらの知覚を基本的体験に結びつけたのです。】


 今日は休みでしたが、主任会議が9時からあり、今日夜勤の管理者、日勤の主任、夜勤明けの親分と、主任会議がありました。
話し合わなければならない案件が沢山あり、12時前まで話し合いましたが、全部は話し合う事ができませんでした。
 日々色々と変って行くので、随時それに対応していかないといかないので、大変ですが、またやりがいでもあります。

 自分たちの仕事は、利用者さんは当たり前ですが、職員さん達の生活の安定も考えないといけないので、悩みの種がなくなりませんが、何とかやって行くしかないですね。立ち止まって考えないといけない時もありますが、走りながら考えて行かないといけない案件の方が多く感じます。
 利用者さん達の訴えがあれば、必要なのは(特に重度の方々は)その時ですので、走りながら考える必要があります。

 自分の受診が午後からあり、受診後、煎茶とお薄用の抹茶を、病院近くのお茶屋さんに買いに行ったら、ストーブがついていて、鉄瓶が置かれていました。灯油の臭いがついた白湯は要りませんが(笑)、せめて電気炉でお湯を沸かして、一服といきたいところですが、鉄瓶は高価なので買えませんね......。



 主任会議を行う、神戸館さんに早めに行き本を読みました。受診待ちはあまりなかったので、昼食時にスターンの復習をしました。




 下記は、現場の支援者にも言えることではないでしょうか? 支援が難しいと、その方のせいにしてしまう傾向がありますが、活性化を促したり、顔の表情や行動をよく観察したら、情動の意味も読めるように思われます。
 佐々木正美先生が昔言われていた、問題行動は二次障がいで、周囲や環境が原因だ!と言われていたのも思い出しました。
 『また、Emdeらは、生まれたばかりの乳児の顔の表情の意味を読み取るのに、母親は乳児の快楽的基調の属性に関して一番自信があり、活性化のレベルについてはそれより少し、そして乳児の顔に見られるカテゴリー性の情動に関して最も自信がもてないと報告しましたが、このことは以上を見てきたような観点からして、非常に興味深いことです。』




 下記は、フロイトを読まずして、フロイトを批判する方々に是非読んで頂きたいと思いました。
著名な臨床家は、フロイトが残した功績を称えながら、時代や自分の患者に沿った方法を模索してきました。
 サリヴァンの批判も、ネットで検索したら沢山出て来ますが、サリヴァンを本当に読み込んだのでしょうか?
国会の野党の最近の質疑のような、幼稚な攻め方で論破しようとしているようにしか感じられません。





快と不快(快楽的基調):これはFreudが初めに探求した路線です。彼は、人間の体験の中で最も顕著でユニークな側面は、快(緊張緩和)と不快(緊張、興奮の増強)の主観的体験であると述べました。これが快楽原則の基本的前提です。Freudは、乳房や香りなどといった環境の視覚あるいは快(授乳など)、不快(空腹など)に関連した感覚、嗅覚が情動の色彩を帯びるようになると考えました。情動と知覚体験が結びつきあうのは、このような方法によります。これは表面的には、観念連合学派の見解のようですが、Freudの説は少し違っています。情動は連想を通じて知覚に妥当性を与えるばかりでなく、知覚が心の中に入っていくために必要な入場券を提供します。快楽的基調の体験なしには、いかなる知覚も全く登録されません。Freudにとって快楽的基調は、Piagetにとっての自己−生成された行為と同じです。両者とも、精神現象としての知覚を“作り出し”、これらの知覚を基本的体験に結びつけたのです。 乳児は生まれたばかりの頃、快楽的基調を体験するのでしょうか。むずかっている乳児と満足に浸っている乳児を観察すると、そう信じないわけにはいきません。Emde(1980a, 1980b)は、快楽的基調が最初の情動体験であると主張しました。生物学者は一般論として、進化論的見地から、生存のための痛みと快楽、あるいは接近と引きこもりが、基本的情動体験であるはずだと主張しています。さらに進化した(Scneirla 1965;Mandler 1975;Zajonc 1980)Emde(1978)らは、情動体験の発達において、個体発生は系統的発生を繰り返すのかもしれないと示唆しています。また、Emdeらは、生まれたばかりの乳児の顔の表情の意味を読み取るのに、母親は乳児の快楽的基調の属性に関して一番自信があり、活性化のレベルについてはそれより少し、そして乳児の顔に見られるカテゴリー性の情動に関して最も自信がもてないと報告しましたが、このことは以上を見てきたような観点からして、非常に興味深いことです。